2022年2月11日金曜日

初音森神社(儀式殿)|昔は鶯の鳴く森に囲まれていた日本橋の神社

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 鎌倉時代の元弘年間(1330年頃)に創建された古い神社です。戦国時代の文明年間(1469−1487)、太田道灌により大社殿が建てられたそうです。神社の由緒書きによると、当時この辺りは、樟木(くすのき)などの生い茂る森だったそうです。初音の森には鶯が多く棲んでいて、鶯の鳴き声を初音と言ったことから、初音の森と呼ばれたそうです。
 天文20年(1551)には、社前に馬場ができ、その後、江戸時代も馬場がありました。牛馬の飼育売買をする人を博労と言ったそうですが、この辺りが馬喰町なのは、そういうことなのです。
 ただ、徳川の江戸入府後、ここに浅草見附門が建てられることになり、初音森神社の境内地の半分が削られました。また、明暦3年(1657)に発生した明暦の大火後、初音神社の別当寺の土地に関東郡代屋敷が建てられることになり、現在、初音神社の本社がある墨田区千歳に遷宮しました。
 下の切り絵図は、嘉永3年(1850)に発行された「神田濱町日本橋北之図」です。当たり前ですが、初音森神社は書かれていません。浅草見附門から郡代屋敷の辺りに、初音森神社と別当寺があったということになります。かなり広い境内だったのだろうと想像されます。



 天保5年(1834)に発行された江戸名所図会に描かれた「馬喰町馬場」。これを見る限り、森もないように見えます。江戸の開発により、初音の森も無くなったのでしょうか。


 戦後の昭和23年(1948)、再び、初音森神社旧蹟の地に社殿が建立され、昭和48(1973)には、現在のようなビルになったようです。


 関ヶ原の戦いの際には、馬場のあったこの地の初音森神社で戦勝祈願をしたそうです。ここに徳川軍が集まったのですね。


祭神

 豊受比売命

音森神社の地図、アクセス

東京都中央区東日本橋2−27−9
 

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