2022年3月21日月曜日

東中野駅前飲食店会(東中野ムーンロード)|どこも、東京の昭和の郷愁は壊されかけています

ホーム飲み屋街東中野駅前飲食店会(東中野ムーンロード)


 この前、アド街ック天国で、東中野をやっていて、1位が東中野ムーンロード。駅前の細い小路に酒場が連なる。昭和の郷愁を誘う横丁、例に漏れず再開発の脅威にさらされているんだそう。これは絶対に見に行っておかねばと行ってまいりました。
 JR東中野駅の北側の東口を出ると、目の前が東中野ムーンロード。「昭和の街」という看板が掲げられていて、レトロな飲み屋横丁、ムーンロードを盛り上げようとしています。しかし、昭和のレトロな魅力は、その街自体から滲み出るもの。立石の呑んべ横丁に「昭和の街」という看板は不要で、どっからどう見ても昭和の街にしか見えません。
 そう考えると、やはり、このムーンロードは、「昭和の街」とアピールしなければならないほど、昭和レトロな魅力を破壊されかけているということなのかもしれません。




 そしてもう、入り口から嫌な予感・・・入り口の看板の向こうは、なんだかスッカスカな感じが・・・夜来ると、雰囲気は違うのかもしれませんが・・・


 東中野ムーンロードのサイトによると、現時点でお店は40店舗あるんだそうですが、どんどん減っていってる感じがします。私が訪れた時点で、サイトに載っているお店が、建物ごと無くなっているところがありました。


 東中野ムーンロード自体が路地裏なのですが、そこから更に路地に入ったところにも、スナックなどがあったようですが、右奥には鉄骨とグリーンシート。破壊されています。多分、そこにも酒場があったようです。


 こっちの路地も酒場が軒を連ねていたのでしょうが、見てください「酒王 土佐鶴」の看板。その下には、酒場の店名が書いてあったのでしょうが、消されています。
 その手前は、建物自体が破壊されています。ここには、サントリーマキというスナックがあったらしいのですが・・・
 雰囲気のあるムーンロードは、ドラマのロケでもよく使われるようで、サントリーマキも、古くは「特捜最前線」、「悪夢ちゃん」、「ATARU」など、さまざまなロケに使われたようです。そんな雰囲気のある酒場もぶっ壊されちゃったようです・・・お金の前では、雰囲気なんて何の価値もないのですよ。そうやって、東京は、新陳代謝を繰り返しているんですかね。それが東京なのか・・・いや、歴史ってそんなもんか・・・もっと耐え忍んでおそろしいほど年月が経過すれば、文化的価値が出るのかもしれませんが、昭和のしかも戦後の街並みなんか、ただ古いだけってことですか。


 こうして、昭和レトロなちょっとした庶民の情景は、集積された資本にひれ伏してしまい・・・


 このカーブを描いた通りにも酒場が並んでいたのでしょうが。左側は、そのムーンロードのサイトには、まだお店の紹介が載っていますから、つい最近潰されたのでしょう。
 カーブを描くこのあたりに酒場が連なっていると、また雰囲気いいんですがね・・・



 シャンソンのお店、マ・ヤン。シャンソンのお店ですよ。
 Wikipediaによると、シャンソンとは、フランス語で歌という意味であるそうで、何か特定のジャンルを指しているんではないそうです。そうすると、このお店の看板に書いてある「シャンソンはお好き・・・・・・・?」っていうのは、歌はお好き?ってこと?いや、広く歌だとしても、全世界でシャンソンっていうと、梅垣義明が鼻にピーナッツを詰め込んで流れる「ろくでなし」。シャンソンって何だ?なんかあのパーラァラァラァみたいな、あのリズム感の歌がシャンソンじゃなかったのですか・・・?
 シャンソンが気になりすぎて止まらなくなって調べると、私の世代では、ろくでなしは、梅垣義明が鼻にピーナッツを詰め込んで流れる越路吹雪の歌なのですが、このろくでなし、もとは、ベルギーの歌手の歌なんだそうで。ベルギー!?フランスの歌じゃないの!?もうよく分かりません・・・
 ただ、シャンソンが流行したのは、多分、戦後の一時期なのかなと思って、それくらい古い時を経てるお店なんですねということが言いたかっただけです。それだけです。
 ただ、こんな場末感漂うこの横丁のこのお店にはピアニストが常駐し、生演奏が聞けたり、生演奏で歌えたりするようです。
 ただの横丁じゃない。



 TV BAR けむり。映画監督、福居ショウジンのお店。福居ショウジンのお店です!知りませんね、福居ショウジン。インディーズ映画では有名な人のようです。それだけで良しとしましょう。中野らしいじゃないですか。



 東中野ムーンロードができたのは、昭和20年頃。戦争が終わってすぐ?いや、戦争が終わる直前?
 よく分かりませんが、大事なことは、日本がぶっ壊される直前か直後に、この横丁ができて、そして、日本が脅威的な復活をする過程に、このムーンロードがあったということです。


 東京には、さまざまな飲み屋街があり、それぞれに集まる人が違い、東の下町の飲み屋街には肉体労働者が、物理的な日本の復興を支え、東京の中心地の飲み屋街は、文化的な復興を支え、この辺の、東京の西の方の飲み屋街は、サラリーマンたちが日本の復興を支えたのかなと、知りもせず、勝手に想像しています。


 日本を支えた横丁を壊さないで下さい、


 夜来ればよかったです。どのお店も夜からでした。

中野ムーンロード地図、アクセス

東京都中野区東中野4丁目1、2

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