2022年3月20日日曜日

長専院 不動寺(出世不動尊)|深川の巨大寺院、霊巌寺の別院

 ホーム寺院>長専院 不動寺(出世不動尊)


 清澄白河の巨大寺院、霊巌寺。霊巌寺の周囲には、霊巌寺の別院や塔頭などが多くありますが、長専院不動寺もそのひとつ。
 長専院は、霊巌寺と同じく、江戸初期に霊岸島(現在の中央区新川)に創建されました。徳川家康の側近、徳川四天王の一人、榊原康政の孫、榊原忠次が開基となり創建されたと伝わっています。明暦の大火後、霊巌寺が深川に移った際に、長専院も当地に移りました。
 一方、不動寺は、霊岸島に霊巌寺を建立していた頃、日本三不動で有名な近江三井寺の不動堂住職の夢の中で、不動堂の明王像が、江戸に連れていくべしと曰ったので、不動明王像を霊巌寺を創建した霊巌上人に渡したそうです。建築中の霊巌寺の近くに不動堂を建てて、不動明王像を祀ったところ、霊巌寺の造立も速やかにすんだことから、出世不動尊として信仰を集めることになったんだそうです。


 不動明王像が夢で喋るなんておかしな話だなんて思ってしまいますが、そんなことはないと私は思うのです。不動明王像が夢で喋ったんだと思います。
 お坊さんは、寝ても覚めても、仏のことばかり考えているでしょうし、不動堂の住職ともなれば、寝ても覚めても不動明王のことばかり考えているでしょう。そんなことばかり考えていると、不動明王像が夢にも出てきて何か曰うのも全く不思議ではないと思うのです。
 虫の知らせとかそんな、感覚を研ぎ澄ませていると感じてしまうようなそんなようなことが起こるんじゃないでしょうか。やはり、信じること、真剣に考えることが大事なんです。あ、私、別に布教を主題にしていませんので。
 そのようなことで、長専院と、不動寺は、別々の成り立ちで、別の仏教施設だったのですが、昭和3年(1928)、一緒になったということです。


 朱塗りの不動堂は、現在の下町に一際派手な色を添えています。
 出世不動尊というと、野望に満ち溢れている人、うだつの上がらないサラリーマン、こぞって願掛けに集まっていそうですが、そんなこともなく、閑散としていて、高校生のカップルが佇んでいるだけでした。みんな、出世したくないのかー?



 榊原家の墓は霊巌寺にあるのですが、長専院を開基した榊原忠次の孫、榊原政倫の墓は長専院にあります。

専院 不動寺(出世不動尊)地図、アクセス

東京都江東区三好1−6−3
 

0 件のコメント:

コメントを投稿

こちらからコメント、情報をお願いします。