2022年9月17日土曜日

亀戸 香取神社|アスリートが必勝祈願に訪れるスポーツ振興の神様

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 亀戸の神社というと、誰の頭にも亀戸天神社が思い浮かぶのですが、ここ香取神社もなかなか大きくて壮麗な神社であります。
 歴史も古く、亀戸天神社は江戸時代の創建ですが、香取神社の創立は飛鳥時代と言いますからずいぶん歴史のある神社なのです。飛鳥時代の創建というと亀戸にはもう一社、江東天祖神社も飛鳥時代の創建です。これだけ古い神社があるなんて、古くから人の集まる土地だったんですかね。
 亀戸は大昔は島だったのですが、大化の改新で有名な中臣鎌足(藤原鎌足)が東国に向かう途中、この亀の島に寄ったそうです。ここに太刀一振りを納めて旅の安泰を祈り神徳を仰いだと伝わっており、それが香取神社創立の起因だと香取神社のサイトなどに書かれています。創立の起因と書いてありますので、神社としての体を成したのはもう少し後なのでしょうか。いずれにしても、その頃よりずっと、ここは神聖な場所としてあったということです。
 平安中期に起こった平将門の乱。この乱を鎮めるため俵藤太秀郷(藤原秀郷)が出陣しますが、出陣前に香取神社で戦勝祈願し、乱を平定しました。神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納し、「勝矢」と命名したそうです。この故事に基づいて現在でも勝矢祭が5月に行われています。


 鳥居をくぐると木立に覆われたまっすぐな参道。亀戸天神社の派手さとは違い、また江東天祖神社の素朴さとも違う、質実剛健で荘厳な雰囲気に背筋が伸びる気がします。


 江戸名所図会には、香取太神宮として描かれています。まっすぐに伸びる参道は面影がありますが、その先の社殿、当時は、藁葺きの社殿だったのでしょうか。今は社殿も立派になっています。


 歴代天皇をはじめ、源頼朝、徳川家康のような武将、また塚原卜伝、千葉周作などの武道家などから篤い信仰を集め、そんなことからスポーツ振興の神として奉られるようになりました。今では、日本のアスリート達が必勝祈願に訪れる神社となっているのです。


 もちろん、江戸名所図会を見ても分かるとおり、このあたり、江戸の頃までは農村地帯でした。特に文久年間から大根が盛んに栽培されました。30cmくらいの短い大根で、おかめ大根とかお多福大根とも呼ばれたそうです。そんな亀戸大根之碑があります。




戸 香取神社の地図、アクセス

東京都江東区亀戸3−57−22

     


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