柳橋花街の跡地を神田川から北に向かって歩くと総武線の高架下にぶつかるわけですが、その高架下の南側の通りが、柳橋桜南通り。この辺りの「柳橋・・・通り」という通りの名前は、平成24年(2012)に台東区で採用された名前なので、ここの柳橋桜南通りという名前もそれほど古いわけでない。
なぜ柳橋桜なのかというと、春に来たことがないので分かりませんでしたが、この高架下には桜が数本植わっています。なので桜の通りなんですね。
柳橋桜南通りも、他の「柳橋・・・通り」と変わらず、何もない寂れた通り。だけれども、路地裏には、花街の痕跡があるんじゃないかと。
路地裏を歩く
路地裏に入ると、少し大きめの商店なのか会社なのかそんな古い建物が多く残っています。
そして、ビルにがっちり挟まれたこの建物。待合だったんですかね。私、素人ですのでこれが本当に待合跡なのかと問いただされるとさっぱりわからないのですが、この柳橋でこの大きさの建物は、待合だったとしか思えないのですが、どうなのでしょうか。こんなところに黒塗りの車で政治家が乗り付け、待合政治を行っていたんでしょうか。
都内の花街(跡)はいろいろ歩きましたが、柳橋は待合だったのかなと思えるような建物が比較的多く見られるような気がします。
そのような少し花街の痕跡を残す路地裏に美家古鮨があります。なんと創業は文化5年(1808)!初代の創業者は屋台から始め、慶応2年(1866)にお店を構えたという。天保の改革(1841年)以降、深川から逃れてきた辰巳芸者たちによって大きく成長した柳橋花街の寿司屋ということです。さぞ繁盛したのでしょう。
美家古鮨の建物なのかなんなのか分かりませんが、この辺り、少し風情が残っています。
角打ちのできる酒屋SAKE Street。角打ちと言っても、下町の労働者のための角打ちではなくて、日本酒専門の酒屋で試飲を目的とした角打ち。なので下町情緒を楽しむとか安く飲むとかそういう目的のものではないですね。なので、本来の角打ちではなく試飲のできる日本酒専門店というのが正しいのかもしれませんが。
そんなカテゴリー上の問題はおいておいて、このお店にある日本酒の7割は試飲ができ、しかもお燗をセルフでできるので、自分の好みの温度でお燗ができたりします。
店の構えがすごいとんかつ百万石。昭和20年(1945)創業。戦後の少しだけの間は、この界隈が柳橋の花柳会として賑やかだったのでしょう。
西の路地裏は、少し飲食店が多くある。
柳はし千金は、昭和元年(1926)創業の老舗割烹料理屋。ちょっと情報がなくてよくわからないのですが、かつては料亭だったのですかね。
柳橋桜南通りの地図、アクセス
東京都台東区柳橋1丁目
柳橋桜南通り 情報交換
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