2023年4月15日土曜日

天祖神社(大塚)|大塚駅前の飲食街にある神社。

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 山手線大塚駅南口前の飲食街、サンモール大塚商店街。ゆるやかな坂の入り組んだ路地に飲食店が点在していて、都会の歓楽街までいかない、かといって下町の酒場街ほどしみったれていない、ちょうどいい感じの飲食街。このサンモール大塚の坂の中腹にあるのが天祖神社。
 歴史は古く、鎌倉時代後期、元年間(1321−1324)の創建といわれています。平安末期より、このあたりの国人領主であった豊島氏の中興の祖といわれいている豊島景村が伊勢皇大神宮の天照大御神を勧請して創建されたと伝わっている。
 もともとは神明社、神明宮と呼ばれていたのですが、この神明社の創建の頃から、巣鴨村が発達していったんだそうです。今の地名は大塚ですが、昔はこのあたり一帯、池袋の東側も巣鴨村でした。


 江戸名所図会に神明社が描かれていますが、十羅刹女堂と書かれています。十羅刹女とは、仏教の鬼神で、私は仏教学者でないのでよく分からないが、鬼子母神と並ぶ悪鬼とか鬼子母神の子供とかいわれている。江戸名所図会には、昔、鬼子母神像も安置されていていたが、賊に奪われて雑司ヶ谷にあると伝わると書かれていて、それが本当だったら、鬼子母神と十羅刹女が一緒に祀られていたことになるんだけど、本当かいな。
 ただ面白いことに、雑司ヶ谷の鬼子母神のサイトには、雑司ヶ谷の鬼子母神像は永禄4年(1561)に清土(現在の文京区目白台)で掘り出したと書いている。雑司ヶ谷の鬼子母神堂のために鬼子母神像を作ったのではなくて、鬼子母神像ができてたからお寺に納めたため鬼子母神堂が作られたということ。そうすると、もしかしたら神明社の鬼子母神が奪われて捨てられて土に埋まっていたのが出てきて雑司ヶ谷に祀られているっていうことがあるんだろうか。
 明治になると、神仏分離によって十羅刹女も分離されることになり、同じ大塚にある東福寺に移され、天祖神社には十羅刹女堂も今は無い。


 明治6年(1873)に、天祖神社と改められ、太平洋戦争では空襲により大きな被害を受けているが、狛犬は嘉永5年(1852)造のものが残っている。この狛犬、子犬に授乳している。十羅刹女は子育てにご利益があるといわれたりするので、この子育て狛犬も、そういったところから来ているのかな。


 あと、戦災を受けながらも残っているのが、夫婦銀杏。右が雌の木で、左が雄の木。雌の木の方は、戦災で中心部が焼けてしまっている。
 樹齢は600年。雌雄一対の銀杏なので夫婦銀杏と呼ばれているんだろうし、子育てにご利益のある十羅刹女と何だかつながっているような気がする。



 なんだか変わった社殿だなと思ったけど、何のことはない、創建700年記念事業として社殿の改修工事をしていた。これは残念。
 戦災で消失した社殿は戦後再建され、また新たに改修されている。拝殿の前に桜が咲いていて、桜の季節はきれいなんだろうな。というか桜の季節だったんだが・・・。改修されたら新しい拝殿を拝むとしよう。
 戦後の再建時、その社地は三分の一に削られたんだそうで、それまではもっと広々とした境内だったんだな。今も、周囲には飲食店が多くあるが、明治から大正にかけて天祖神社の周りには料理屋が多く集まり、大塚花街の元になるほどの賑わいだったんだとか。


 社殿脇に、末社がある。厳島社、熊野社、菅原社を合祀したもの。


 富士神社。富士塚が築かれている。江戸時代、富士講がはやり、各地に富士塚が造られた。


祖神社(大塚)の地図、アクセス

東京都豊島区南大塚3−49−1


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