2023年5月5日金曜日

牛頭山 弘福寺|向島花街の風情と豪壮な仏閣

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 向島の見番通り。かつて花街で栄えたその通りもマンションが立ち並び、風情がなくなってしまっている。そんな見番通りでも、この美家古はかつての料亭そのままに残っていて、ここだけはかつての花街の面影を残しているのだ。そしてその隣に立派な山門と本堂を構えるのが弘福寺。


 弘福寺の立派な山門や本堂は、どことなく中国の寺院のような感じがする。弘福寺は黄檗宗という宗派なのだが、黄檗宗の寺院は黄檗様と呼ばれる中国の寺院のようなデザインのお寺が多い。興福寺も、中国寺院然とはしていないが、やはりどこか中国寺院のような雰囲気がする。


 江戸切絵図「隅田川向嶋絵図」には、弘福寺の隣に牛ノ御前が書いてあるが、これは今では牛嶋神社となって、少し南に移っている。牛ノ御前、牛嶋神社は須佐之男命を祀っており、須佐之男命は神仏習合で牛頭天王と同一とされている。それにあやかって弘福寺の山号は五頭山とされたんだとか。


 江戸名所図会に描かれた弘福寺。弘福禅寺と書いてある。今よりもかなり境内は広かったのだろうか。本堂の前には天王堂が設置されている。中国の寺院では本堂の前に天王堂を設置するのが一般的で、やはい黄檗宗寺院である弘福寺の特徴だったのだろう。また、周囲の一部には回廊のようなものも描かれている。
 かなり広くて豪壮なお寺だったんではないだろうか。江戸郊外の緑豊かな田園地帯に、弘福寺、長命寺、牛嶋神社、三囲神社など、それなりの規模の寺社仏閣が立ち並んでいたということなんだな。


 弘福寺は、江戸初期、延宝元年(1673)に創建された。創建に際しては、葛飾郡須田村香盛島にあった香積山弘福寺の堂宇を、もともと葛西一族の城址があったところに移して、香積山を牛頭山と改称された。葛西氏の城というと、青戸の葛西城が知られているけれど、向島にも城があったのか。弘福寺のサイトには葛西一族の城址に移されたと書かれている。
 江戸名所図会にいくつか堂宇が描かれているが、江戸時代の大火で焼失してしまっており、本堂もついに関東大震災で罹災してしまったため、江戸時代からの建物は無くなってしまっている。今の本堂は、昭和8年(1933)に再建されたもの。円窓などは、なかなか日本の寺院建築では見られない珍しいもの。これも黄檗宗の寺院ならではのデザイン。


 境内には、「翁嫗尊」という小さな祠がある。「咳の爺婆尊」と呼ばれて、風邪除けにご利益があるとされている。境内では「せき止飴」が売られている。


 梵鐘は、貞享5年(1688)鋳造のものが残っている。




福寺の地図、アクセス

東京都墨田区向島5−3−2
 


福寺 情報交換


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