2023年6月17日土曜日

原宿神宮前商店会①穏田川暗渠①旧渋谷川遊歩道路①|暗渠化された隠田川上、裏原ブームの思い出

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 表参道の交番の近くに「参道橋」と刻まれた橋の親柱だけがある。かつて、この下には渋谷川の上流となる穏田川が流れていて、その穏田川を渡るための橋がかかっていたのだ。穏田川は、周辺の発展、市街化によってドブ川と化してしまい、昭和39年(1964)の東京オリンピック前に暗渠化されたのだ。
 暗渠化された穏田川の一部は、原宿から渋谷にかけて旧渋谷川遊歩道路として整備された。遊歩道路は、表参道で千駄木方面と、渋谷方面に分かれているが、今回は、表参道から千駄木方面の遊歩道路を歩いた。


 上の江戸切絵図は東都青山絵図の一部だけど、真ん中を流れているのが穏田川。切り絵頭上に「此辺ヲンテン」と書いている通り、この辺りは、かつて地名も穏田だった。
 江戸時代は大名屋敷に挟まれた小川が流れる農地であったようだが、今は、ブランドショップやセレクトショップ、古着屋などが多く立ち並び、若者が集まるオシャレスポットに様変わりしている。こんなところが田畑だったんだな。




 表参道から千駄木方面の旧渋谷川遊歩道路の一部は、原宿神宮前商店会という商店街の一部でもある。このエリアは、90年代後半から裏原と呼ばれた地域で、90年代後半から2000年代にかけてのストリートファッションの中心地となった場所。今でも、その当時と同じショップが残っていたり、新たにできたショップなどが多く軒を連ねている。


 私が渋谷、原宿に足を踏み入れ始めたのが90年代。90年代後半から裏原と呼ばれるようになって、ストリート系のブランドショップが出来始めたが、やはり表のイメージはなく、裏のイメージが強かった。
 その当時この辺りは、当時のファッションをキメキメな人くらいしか歩いていなかったような記憶がある。普通のカッコだとちょっと気恥ずかしいような。でも今では、そんなに決めキメな人はいない。そんな意味で、裏ではなくて表になったんだなぁと感じる。


 原宿のカワイイ文化、カワイイファッションの創成記のブランドの一つと言えるCANDY STRIPPERは、90年代からずっとここにある。


 90年代頃に撮ったCANDY STRIPPER。ボケボケの写真で申し訳ないですが、ショップデザインも超斬新だった。当時の裏原のショップは、ショップデザインでも文化を牽引していたような気がする。





 原宿通りと接するあたり。ここには穏原橋がかかっていた。このあたりから少し閑静になってくる。


 細くうねうね曲がる道筋は、この通りが川であったことを物語っている。穏田川は地下に押し込められ地上から姿を消しているが、まだ、この下には穏田川が流れているのだ。


 最近では、表参道から千駄木方面のこちら側もキャットストリートと呼ぶらしいが、以前は表参道から渋谷方面の旧渋谷川遊歩道路をキャットストリートと言っていたと思う。


 穏田川には、かつて水車が多くあり精米をしていた。


 葛飾北斎の富嶽三十六景に隠田の水車として描かれている。今では考えられない、とても長閑なところだったことがわかる
。穏田川にあったいくつかの水車は大正時代にはまだあったようだ。
 正確にはよくわからないけれど、ネットで情報を漁っていると、下の写真の辺りに穏田川の水車の一つ「村越の水車」という水車があったところなんだと思う。


 以前から、このアーチ状のくり抜きはなんなんだろうと思っていたが、水車があったんだよということをモチーフにしたものなんだろうか。アーチの奥は、左から続くと思われる石垣が続いているだけなので、何の意味のアーチなのか本当に分からない。



 この辺まで来ると、昭和な商店建築っぽい建物が出てくる。古くから商店があるところだったのかな。


 オシャレなカフェがある。BRITISH INDIAN CAFE 1930。この単純な合わせ技の店名はなんなんだ?と思ったら、イギリス統治下のインドをテーマにしたカフェなんだそうだ。うーん、占領下のイメージをテーマにするのはオシャレなのか?頭硬いなぁ、私。イギリスの首相もインド出身者になったことだし、イギリス統治下のインドは遠い昔、西洋と東洋のレトロの融合美をファッションとして捉えるのだ。


 2棟だけだが、看板建築があった。古くから少し商店があるところだったのかな。



 看板建築は、リノベされオシャレになっている。これらの看板建築が建てられて時には、まだ穏田川が流れていたのだろうか。
 穏田川暗渠の蓋をとって、また水辺を再生したら、この裏原ももっとオシャレになるんじゃないかなと勝手に思うんだけど、住人にとっては迷惑な話だろうな。






歩道付近のショップ 移り変わり

 流行はその名の通り、流れ行くもの。ちょうど裏原ブームに乗っかっていた私は、その当時のショップの写真を撮りためているので、過去のショップと今あるショップを並べてみた。時代の移り変わりというものが少しわかるような気がする。

 今もあるショップ


FAT HEAD SHOP
2002年、裏腹ブームがヒートアップしていた頃にできたブランド。スケートカルチャーや、その当時流行し始めたBボーイスタイルをカジュアルにしたブランド。この辺りにあった裏原ブランドの第一世代はことごとく無くなってしまったが、FATは健在だ。私はその当時買ったネルシャツを今だに愛用している。それくらい古ぼけないアイテムなんだな。

東京都渋谷区神宮前3−20−1

FULL COUNT TOKYO SHOP
1992年から原宿にあるレプリカジーンズの老舗。90年代のヴィンテージジーンズブームの最中にできたブランド。それからまだ健在というのがすごい。

東京都渋谷区神宮前3−20−7

NILE PERCH原宿本店
原宿発のかわいいファッションのショップ。おもちゃ箱をひっくり返したような店内。

東京都渋谷区神宮前4−26−27 原宿Y'sビルB1F

PENGUIN TRIPPER
80年代、90年代のストリートブランドを扱う古着屋。旧渋谷川遊歩道より東に並行する路地にある。

東京都渋谷区神宮前4−25−3 メゾン原宿102

Santa Monica 原宿店
老舗の古着屋です。レディースに特化した古着を扱っている。

東京都渋谷区神宮前4−25−5

Strato
原宿ならではの良質な古着屋さん。ロックTが豊富。

東京都渋谷区神宮前3−20−5 INOUE BLDG 1F

原宿シカゴ神宮前店
古着のデパート、シカゴのキャットストリート沿いのお店。

東京都渋谷区神宮前4−26−26

フラミンゴ原宿店
下北沢の古着屋、フラミンゴの原宿店。

東京都渋谷区神宮前4−26−7 ジャンクヤード

 閉店してしまったショップ



BOUNTY HUNTER
DJの岩永ヒカル氏が1995年に設立。当初は、トイショップとしてのスタートだった。オリジナルのフィギュアは即完売という人気ぶりで、その後、ブランドがスタートした。スカル柄などのパンクスタイルも絶大なる人気を得た。惜しくもショップは2021年に閉店となったが、ブランドは継続中だ。

Fiberops
2002年に設立されたブランドのショップ。確か、FAT HEAD SHOPの並びにあったと思う。その後、店名をSmokestack Lightin'と変えたりしていたが、多分、今はないと思われる。

HIDE AND SEEK
おそらく1995年に設立されたのではなかろうか。もしかしたら、もっと前からやっていたかもしれない。昼はアパレルショップで、夜はバーだった。裏原界隈のデザイナーから、芸能人などが集まるサロン的なバーだったようである。HIDE AND SEEKというブランドは継続していると思う。

mini by X-LARGE
メンズストリートブランドX-LARGE。90年代、大流行したストリートファッション。当初、ストリートファッションは男子のファッションであったのだが、これが徐々に女子にも浸透し始め、ストリートブランドのレディースラインが立ち上げられるようになった。このmini by X-LARGEもX-LARGEのレディースラインとして立ち上げられ、専門のショップすらできる人気ぶりだった。x'elleっていうラインモあったような気がする。90年代にショップができて、でもすぐ無くなったような気がする。
naichichi
1998年にセレクトショップとしてオープン。その前は古着屋だったらしい。4年後には裏原界隈で移転し、この場所にはFATができた。オリジナルブランドのInpactys Kerriはファッション雑誌なんかも賑わせていたような気がするが、2016年に閉店した。

realmadHECTIC
プロスケーターの江川芳文氏が1994年に設立。ブランド「HECTIC」を中心に展開。裏原創成期のブランドの中で、「HECTIC」はどちらかというとスケート、ヒップホップスタイルであった。裏原全盛期には絶大な人気を誇り、製品入荷時には行列ができ、あっという間に無くなった。2008年にはワールドに譲渡されてしまい、2012年には遂に終了となってしまった。

RECIPE
おそらく90年代後半から2000年代にあったレディースのショップ。何系のショップだったのかは全く記憶にない。メモしてあるのは、幅3m、奥行1mくらいの小さい店としか書いてない。

sarcastic
1996年にアメリカで立ち上げられたストリートブランド。1999年に原宿にショップがオープンした。ストリートブランドだが、モード的なアプローチもあるスタイリッシュなブランド。ブランド自体は今もあるようだが、原宿のショップは、2004年に閉店となっている。

Seesway
2001年にスタートしたセレクトショップ。オープン当初は別の場所だった。whiz、BRAITONE、REBIRTHなど、これまでのストリートカルチャーを基にした裏原ブランドとは一線を画すようなコンセプト、洋服自体にコンセプトを持ったブランドがセレクトされていた。ブランド自体に人気が出ると、ショップを作ってしまった。多分、その頃にSeeesway Satiateというオリジナルのブランドを出したりし始めたが、人気に翳りが出て2008年に閉店となった。

VANDALIZE
高橋盾(JONIO)氏と一緒にUNDERCOVERを立ち上げた一之瀬弘法氏が独立し立ち上げたN.W.O.のショップを1998年にオープンし、翌年ブランド名とともにVANDALIZEに変更された。この場所は、その前にはNEIGHBORHOODが入っていた。ここのTシャツは好きで今でもまだ着ている。2008年に訪れた時には、いつの間にかショップがアロハっぽいギャルっぽいショップが入っていて愕然とした。時代の移り変わりを感じたものだ。

YES
モデルのARATA氏が手がけたブランドREVOLVERのショップ。1998年の設立から、それまでの硬派な裏原ブランドと違ってエレクトロでポップ、裏原に新たなスタイルを持ち込んだ。ショップは、原宿内を転々とし、当時流行ったスターウォーズ・エピソード1に出てきたアナキンの家のようなショップなど、ショップデザインにも驚貸されたものだ。勢いのあったREVOLVERも2008年にショップを閉じ、ARATA氏が抜け、デザイナーのKIRI氏のみになりYESで再スタートとなったが、いつ無くなったのか、もう無い。

文化屋雑貨店
アパレルショップでもないが、その雑貨セレクトセンスで、ファッションとの親和性に注目された。スタートは渋谷のファイヤー通りで1974年。1988年に旧渋谷川遊歩道に移転してきて、90年代から2000年代も人気を集めた。惜しくも2015年に閉店となってしまった。

 こうして思い返してみると、90年代後半から2000年代にかけての裏原全盛期には、人気の高かったショップが多くあったんだなとしみじみ思った。そしてあの頃のマニアックさや、情熱、分かってもらえない客は相手にしないとかの頑なさなんかがもう無くなって、ただなんか何となくオシャレで、コマーシャルな通りになってしまった感がある。


渋谷川遊歩道路、原宿神宮前商店会地図、アクセス

東京都渋谷区神宮前

渋谷川遊歩道路、原宿神宮前商店会 口コミ

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