台東区商店街連合会というサイトがあって、そこに公園通り会が載っている。これによると、公園通り会の通りは、通称「のんべ横丁」と言われているらしい。そう言われてみると居酒屋が多めな通りなのかもしれない。ただ、浅草はどこを歩いても居酒屋が目に付くところで、この公園通りの先には、それこそ昼のみの聖地と化しているホッピー通りがあります。あっちの方が、そこら辺に飲んべが歩いているんでしょうが、もしかしたら、公園通りも過去には、そんな大衆居酒屋が軒を連ねていたのかもですね。
公園通り会の地図、アクセス
公園通り会は、東京メトロ田原町駅、つくばエキスプレス浅草駅、東京メトロ・東武スカイツリーライン浅草駅が最寄り駅。
東京都台東区浅草1丁目
浅草なんて、昔はどこも賑わっていたのでしょうが、この細い路地といってもいい公園通りも、昔はとても賑わったそうです。戦前は北に、松竹座と公園劇場があったことから公園劇場通りと言っていたそうで、浅草六区の興行街に抜ける道として随分賑わったそうです。
映画、演劇など、昔の浅草は、東京、いや日本の文化、娯楽の中心地といっていいほどの地域だったのが、大衆の娯楽の変化とともに、浅草の賑わいが消え、そしていつしか古くさい街として不遇な時代を過ごすことになった。
それが今、再びまた息を吹き替えして、国内はおろか、東京の下町の日本らしさを求めて海外からも人がたくさん旅行に来るようになった。不遇の時を過ごした浅草は、そのおかげで、いい感じに開発、発展から取り残されて、いい感じに街並みに味が出ている。この公園通り会も例外ではない。上の看板を見てください。いい感じに色褪せ、そして、文字のレトロさ。なんともいえない味わいがあります。決してけなしているわけではありません。開発し攘夷主義な街だと、こんな味わいはすぐに消されてしまいます。
昭和の初めからここで営業している中華料理博雅。それこそ、この通りが人でごった返していた頃からここにあるということです。すごいですね。ここで、浅草の栄枯盛衰を見てきたわけです。そして、浅草は今、枯栄衰盛のフェーズに突入しているのです。
魚の大きい看板。魚屋だったのか、それか、その上に割烹の看板があるので、割烹だったのか。店構え的に割烹だったのかな。入り口まで緑が侵食しているので、おそらく閉業してしまっているんだろう。
取材NGらしい、焼き肉の名店、金楽。焼肉屋の中では超有名店。
浅草の千束通りにある酒店大桝が運営する大衆居酒屋大桝とワイン厨房Daimasu。どちらも土日は、お昼過ぎからやっている。酒屋が運営しているだけあって、こだわったお店のようだ。
のんべ横丁と言われているとのことでしたが、酒場が軒を連ねているという感じではなく、それは過去、そう言われていたのかもしれませんね。それにしても浅草らしく、こんな細い路地のような通りに、個性的な酒場や飲食店があるのが奥深いところだなと思います。
公園通り会 口コミ
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