かっぱ橋道具街の地図、アクセス
かっぱ橋道具街は、上野と浅草の中間あたりに位置している750mほどの通り。この通り沿いにずらっと料理道具店が軒を連ねているのだ。
アクセスとしては、東京メトロ銀座線の田原町駅、つくばエクスプレスの浅草駅から行くのが一番近いだろう。
東京都台東区西浅草1丁目、2丁目、3丁目、松が谷1丁目、2丁目、3丁目
かっぱ橋道具街の成り立ち
かっぱ橋道具街といえば、ニイミ洋食器のこのジャンボコック像。ニイミ洋食器の創業は、明治40年(1907)。古道具屋としてかっぱ橋で創業したそうだ。800mの通りにそんな老舗の料理道具屋が、170軒の料理道具屋が軒を連ねるかっぱ橋道具街。
かっぱ橋道具街のサイトによると、大正元年(1912)頃この通りに数軒の古道具屋が商売を始めたのが、かっぱ橋道具街の始まりと書かれています。どうしてニイミ洋食器が商売を始めた明治40年がかっぱ橋道具街の始まりでないのかは不思議だけれど。
江戸時代から繁華街であった浅草。そして、明治以降も、飲食店が多く軒を連ねる東京一の大繁華街になった。かっぱ橋道具街は、そんな浅草の西にかつて新堀川という人口河川があったのだが、その川端に、かっぱ橋道具街が形成されたのだ。
料理人の必需品である料理道具屋が、巨大繁華街である浅草にできたのは必然なのだろう。
日本というのは、世界各国の食文化が楽しめる。和食だけでなく、洋食、洋食といっても各国の細分化された食、中華、インド・・・。浅草では、古くから洋食、中華など様々な料理屋があったわけで、そしてそれぞれに道具が必要となる。 そんなこんなで、かっぱ橋道具街には、世界の様々な料理道具が揃うのだ。これも世界から見れば稀有な地域なんだろうな。
プロの料理人はおろか、素人料理好きにも愛され、世界各国から、料理好きが集まってくる。料理好きは、道具を見ているだけでも楽しいのだ。
ちなみに、なぜ合羽橋というのか?河童伝説があるのか?だけど。字は合羽。そうレインコートとかの合羽。かっぱ橋道具街のサイトによると、二つの説があるらしい。
一つは、雨合羽に関する説。現在のかっぱ橋道具街の北の向こうに伊予新谷藩の屋敷があった。そこの足軽などが内職で雨合羽を作っていて、それを近くの橋に干していたので合羽橋と言われたと。
もう一つは、河童の伝説。この辺りは水はけが悪かったので、合羽屋喜八という人が私財を投げうって新堀川を掘削したのが文化11年(1814)。この掘削を、かつて喜八が助けた隅田川の河童が協力したんだと。そして、この隅田川の河童を見た人は商売繁盛したんだと。
どっちでしょうね。ちなみに、近くに曹源寺というお寺があり、合羽屋喜八はここに葬られており、かっぱ寺と言われています。
かっぱ橋道具街が組織化されたのは、戦後、昭和22年(1947)。その当時は、浅草合羽橋電車通商工会という組織名だった。電車通り?というのも、大正10年から昭和43年までは、この通りに都電千束線というのが走っていたからだろう。
かっぱ橋道具街のお店たち
食品サンプルの東京美研。世界でも珍しい食品サンプルの文化。かっぱ橋道具街には、食品サンプルのお店がいくつかある。その精巧なサンプルは見ているだけで楽しめる。
近くの居酒屋で酒を飲んでいたら、そこの大将が、「かっぱ橋、外人が多いんだけど、みんな包丁を買いに来てるんだよ。包丁を買っても、研げないのにどうするんだろうな。」なんて言ってたんだけど、確かに包丁のお店には、海外の人が多く入っている。和包丁の美しさと、その職人的な小道具に惹かれるのか。
菓子道具専門の新井商店。ケーキ型、タルト型、和菓子木型、焼き型など、プロでなくても、お菓子作りの好きな人にはたまらんだろうな。昭和25年(1950)の創業。
パン道具の専門の川崎商店。趣味も極めるとマニアックにいろいろな道具が欲しくなりますからね。食パン型、秤、バット、ボールなどなど。昭和21年(1946)の創業。
ユニオンは、コーヒーや紅茶器具など、喫茶用具の専門店。サイフォン、ロースターコーヒーミル、ドリッパーなどなど、いろいろな製品がある。シェーカーやソムリエナイフなどのバーグッズもある。
かっぱ橋商店街の北のはずれにあった喫茶店、合羽橋珈琲は、コロナの影響を受けたのか閉店してしまっている。
かっぱ橋道具街 口コミ
かっぱ橋道具街について、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。私も知らないことが多いので、ぜひお願いします。
0 件のコメント:
コメントを投稿
こちらからコメント、情報をお願いします。