アメ横を東にそれて、昭和通りを渡って少し歩くと韓国食材店、焼き肉店が集中している一画がありますが、ここが、東京最古のコリアンタウンと言われている、東上野コリアンタウン(キムチ横丁)です。
東上野コリアンタウン(キムチ横丁)の地図、アクセス
東京都台東区東上野2丁目
東上野コリアンタウン(キムチ横丁)の成り立ち
東京でコリアンタウンと言えば新大久保です。新大久保にはロッテの工場が1950年から2013年まで操業していましたから、韓国系のお店が集まったのでしょう。
一方で、こちら東上野コリアンタウンは、戦後の闇市に端を発しています。北関東、東北、信越、常磐方面の玄関口であった上野は、物資も集まりましたら、とても大きな闇市が形成され、これらの闇市は、日本のやくざ、在日華僑、朝鮮人が支配し、勢力争いが繰り広げられていたようです。
この勢力争いの過程で、在日朝鮮人は、上野高架下から、東上野に集まり、コリアンタウンを形成したのです。言い方は悪いですが、上野の中心地から逃れてきたという感じでしょうか?
戦後すぐのことです。新大久保の方は、戦後にロッテの工場が出来てから、徐々にコリアンタウンかしたのでしょうから、この東上野のコリアンタウンが、都内最古のコリアンタウンと言われるのは、当然のことなのでしょう。
成立当初は、国際親善マーケット、上野親善マーケットと称していたようです。勢力争いを繰り広げといて国際親善とは?と思ってしまいますが・・・
現在は、飲食関係しかありませんが、成立当初は、民族衣装店などもあったようです。
そして、今となっては、韓国料理屋のみという硬派なコリアンタウンとなっておりまして、新大久保のような韓流、K-POPなどの、俗っぽい文化は全くありません。通称が「キムチ横丁」ですし、POPとはかけ離れていますね。ですので、若者は一切おりませんし、裏びれた雰囲気が漂っています。
ハングル文字があまり無いところが、韓流ごり押しみたいな浮ついた感じがせず、日本と韓国の歴史を感じます。
ビルの間を入っていくと、ビルの裏側のようではあるのですが、看板が掲げられています。
お店の入り口が、このビルの間の隙間にあるお店があります。路地裏ならぬ、ビル裏なのです。このビルの隙間から、「釜山館」や「富士吉」、「東京苑」などの焼肉屋に入ることになります。新大久保とは違い、この焼肉屋密集という感じが、正統派コリアンタウンという趣であります。
2020年コロナ禍の散策だったからなのか、人気がないどころか、お店も開いているのか閉まっているのかよく分かりませんでした。
普段から人気が無いのか何なのか分かりませんが、不思議なビルの隙間です。
歴史がありますし、浮ついたファッションは感じられませんから、こここそ、本場の焼き肉、キムチが味わえそうではあります。
東上野コリアンタウン(キムチ横丁) 情報交換
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