鳥居に「陀枳尼天社」と書いてありますが、道灌山稲荷社とも呼ばれているようです。陀枳尼天とは聞き馴染みのない言葉ですが、古代インドで、ダーキニーとは人肉を喰らう魔女であったようです。それが、日本に入ってきて、肉を食べる狐と結びつき、狐ということで稲荷信仰と結びついたようです。
道灌山と言いますと、日暮里駅~西日暮里駅の西側の台地が道灌山と呼ばれていますが、この稲荷社が道灌山稲荷社というのはなぜなのでしょう。ここから300m北に太田道灌築城と言われている「稲付城跡」(静勝寺)がありますので、赤羽西側の高台一帯も道灌山と呼ばれているようです。
道灌山と言いますと、日暮里駅~西日暮里駅の西側の台地が道灌山と呼ばれていますが、この稲荷社が道灌山稲荷社というのはなぜなのでしょう。ここから300m北に太田道灌築城と言われている「稲付城跡」(静勝寺)がありますので、赤羽西側の高台一帯も道灌山と呼ばれているようです。
赤羽は、センベロの街だけではなく、太田道灌のゆかりも深く歩いていると歴史を楽しめる土地なのです。
この道灌山稲荷社では、2月の初牛の日に稲付の餅つき唄を歌いながらの餅つきが行われています。北区の無形民俗文化財になっており、北区教育委員会の説明板によりますと、この辺りは、江戸時代、稲付村と呼ばれており、この辺りで餅をつくときに歌われていた作業唄とのことです。大正時代頃までは歌われていたようですが、米屋が餅の注文を取るようになってから、廃れてしまったようです。産業の近代化によって文化が破壊された一例ですね。
この道灌山稲荷社では、2月の初牛の日に稲付の餅つき唄を歌いながらの餅つきが行われています。北区の無形民俗文化財になっており、北区教育委員会の説明板によりますと、この辺りは、江戸時代、稲付村と呼ばれており、この辺りで餅をつくときに歌われていた作業唄とのことです。大正時代頃までは歌われていたようですが、米屋が餅の注文を取るようになってから、廃れてしまったようです。産業の近代化によって文化が破壊された一例ですね。
道灌山稲荷社の地図、アクセス
赤羽の歴史観光スポット
赤羽というと、昼飲み、せんべろの街のイメージが強いですが、武蔵野台地の北東端という地形から、戦国の武将・太田道灌築城の稲付城がありました。そのような関係から、歴史散歩も楽しめる街なのです。・自得山 静勝寺
東京都北区西赤羽1−21−17
戦国時代の武将、太田道灌が築城した稲付城跡に創建されたお寺。
赤羽歴史散歩の中心スポットです。
・亀ヶ池辨財天
東京都北区西赤羽1−29−17
マンションに囲まれた弁財天。
江戸時代、この一帯は大きな池だった、その名残です。
・妙覚山 蓮華寺 普門院
東京都北区西赤羽2−14−20
鎌倉時代創建とされる歴史あるお寺。
その境内には、チベットやインドを彷彿とさせる建築があふれる摩訶不思議ワールドです。
赤羽グルメ(飲み屋、せんべろ)スポット
赤羽と言えば、昼飲み、せんべろですね。・赤羽1番街
商店街ではありますが、居酒屋も多くあります。
・一番街シルクロード
下町商店街的なアーケードの中は、ほとんど飲み屋さんです。
お昼頃から大変な賑わいです。
・OK横丁
迷路のような路地に居酒屋が密集しています。
・明店街
こちらも、居酒屋さんだらけの通りです。
陀枳尼天社(道灌山稲荷社) 情報交換
陀枳尼天社(道灌山稲荷社)について、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。私も知らないことが多いので、ぜひお願いします。
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