2022年3月6日日曜日

寶珠稲荷神社|山谷ドヤ街のまっただ中にあるお稲荷さん

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 南千住から浅草に向かう吉野通り。この吉野通りの周囲は山谷と呼ばれ、東京最大のドヤ街がある地区、いやあった地区の方が正しいのかもしれません。そうは言っても、吉野通りから一歩路地に入ると、まだまだ日雇い労働者が日銭で泊まるために利用した簡易宿泊所が残っていますが、路地裏の簡易宿泊所でも一際目を引くのが、「ルマ・いなりや」でしょう。この樹木に覆われ、倒壊しそうな建物が現役だということにはキセキ、そして神々しさすら感じます。
 その「ルマ・いなりや」の向かいに、寶珠稲荷神社があります。「ルマ・いなりや」のいなりは、お稲荷さんの近くにあるからその宿名なのでしょう。



 ドヤ街まっただ中にある寶珠稲荷神社、1番の印象に残ったのは、玉垣に張り紙されたトイレの案内。酒を飲んで、そこら辺でやってしまうのですかね・・・?ドヤ街華やかりし頃には、日雇い労働者が、そこら中にたくさんいましたし、そして稼いだお金で、そこら辺の安酒場で酒を飲み、泊まるお金のない人は、路上で寝ていたりしてました。それで、そこら辺でお小水してしまったりしていたのでしょうが、今は、路上で寝ている人もいません。飲んだくれている人も、ごく僅かです。
 この寶珠稲荷神社の張り紙、直接的に立ち小便禁止とは書かれていないものの、トイレをお使いくだいということと、鳥居が描かれていて、そういえば、昔の漫画でよく、立ち小便禁止と鳥居のマークと一緒に壁に描かれていたのをよく見たのを思い出しました。今は、喫煙禁止はよく見ますけど。路上喫煙のように、昔は、立ち小便が多かったのですかね。それにしてもバチ当たるぞ的に鳥居のマークを書いて、立ち小便を戒めていたのでしょうが、この寶珠稲荷神社は、張り紙に鳥居を描いていますが、描かずとも、本物の鳥居がありますが・・・。
 まぁ、立ち小便の話はそれくらいにして。


由緒

 境内にある説明板によると、寶珠稲荷神社の創建年代は不明のようですが、室町時代、戦国時代には、浅草寺の門前町「浅草町」にあったようです。そして、その町の移動と共に、寶珠稲荷神社も転々としたようです。
 浅草から亀戸へ移り、そして天和2年(1618)、現在の地に移ってきたそうです。


 東京大空襲の際、この辺りも戦火に見舞われましたが、寶珠稲荷神社は、消失を免れたそうです。


 戦国時代から、江戸時代を経、近代、そして現在。これからの未来も寶珠稲荷神社は見続けるのでしょうか。

祭神

倉稲魂命
 

珠稲荷神社地図、アクセス

東京都台東区清川2−15
 

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