新宿二丁目を南北に貫く仲通りの脇にある新千鳥街。これは、Green Garden Street(緑苑街)でも書きましたが、かつて新宿二丁目の交差点から甲州街道までの間にあった商店街であり飲み屋街であった千鳥街が道路造成の立退のために移転してできたもの。1960年代後半だと思われます。
前身の千鳥街が、新宿二丁目のゲイタウンの発祥の地だとする見解があります。これに関しては、続々・たそがれ日記というブログに、千鳥街について詳細に追跡した記事で推察されています。
『私がなぜ「千鳥街」にこだわるのかというと、そこが新宿において、花園神社裏の「ゴールデン街・花園街」(歌舞伎町1丁目)と並んで、早い時期(1950年代)からゲイ・バーが立地した飲み屋街だからだ。・・・
「千鳥街」は「ゴールデン街・花園街」よりも、現代の「二丁目・ゲイタウン」にずっと近く、1960年代のゲイタウンの成立と関係する可能性がある。・・・
西塔哲「新宿のメケメケ・バー」に次のような記載がある・・・新宿の女装系ゲイバーの立地ついて「これらの店が南から千鳥街、二丁目、歌舞伎町、花園街、区役所通りの限られた狭い地区に密集している」・・・「千鳥街」にある時期、女装系ゲイバーが立地していたこと・・・がわかった。』
なるほど、そういうことらしいです。新宿には、女装系ゲイバーが点在していたんですね。その中の一つの千鳥街が新宿二丁目に移転したので、ゲイタウンとしての新宿二丁目の成り立ちに関わりがあるという推察です。
ただ、一方で千鳥街に関して『以前は「ゲイタウン」の真ん中で、ヘテロセクシャルの飲み屋街として頑張っていたが、近年はゲイ系のお店の進出が著しい。』とも書かれています。千鳥街から女装系ゲイバーも一緒に移転して来たけど、その後、ヘテロ系のお店が増えたが、またゲイ系のお店になったということ?
1階の元祖札幌やは純粋なラーメン屋ですが、その他はほとんどゲイバー。
この通りの奥、新千鳥街からはそれますが、QUEENのフレディー・マーキュリーが日本公演の際には立ち寄っていた老舗のクラブがあります。三島由紀夫も通ったそうです。
そしてここも新千鳥街ではないかもしれませんが、新千鳥街の向かいにもフレディー・マーキュリーが訪れていた店があります。1980年代から、新宿二丁目は世界的にゲイタウンとして名を馳せていたことがわかります。
フレディー・マーキュリーと新宿二丁目の記事、興味があれば読んでみて下さい。フレディー・マーキュリーの繊細さ、豪放さ、そして、それだけでなく、新宿二丁目の懐の深さがわかります。
新千鳥街の地図、アクセス
東京都新宿区新宿2丁目
新千鳥街 情報交換
新千鳥街について、勝手な感想を書いてしまっています。皆様の訪れた感想、また足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿
こちらからコメント、情報をお願いします。