2023年7月2日日曜日

原二本通り(原宿二丁目商店会)|表参道の裏、カフェやアパレルショップが並ぶ閑静な路地

 ホーム東京の商店街原二本通り(原宿二丁目商店会)


原二本通りのアーチ(2021年撮影)

 表参道のAppleの脇にある路地が原二本通りと名付けられた原宿二丁目商店会。私が足を踏み入れ始めた90年代、私のイメージでは、表参道からこの路地に入ると人通りが少なくない閑静な通りだったような気がする。そんな通りにポツポツとアパレルショップがあり、歩いてる人といえば、そんなショップに行くオシャレさんくらいだったような気がする。

徳冨蘆花住居跡の碑(2021年撮影)

 この路地には徳冨蘆花住居跡の碑が建っている。明治33年(1900)から明治38年(1905)の間、徳冨蘆花が住んでいたそうだ。明治の世なので、当然まだ明治神宮も表参道も無かったんだろうから、青山、原宿界隈はただの住宅街だったんだろうな。

東都青山絵図

 江戸時代まで遡って江戸切絵図「東都青山絵図」を見ると、現在の原二本通りは、安芸広島藩の浅野家や、近江浜松藩の井上家などの大名屋敷があった場所。その東側には武家屋敷が建ち並んでいたのが分かる。今では全く面影がないけど、青山は武家屋敷の町だったということなんですね。
 明治以降、大きな大名屋敷は、それこそその広大な土地が、公園、大学、学校、その他施設などに転用された。浅野邸も中央を表参道が貫き、神宮前小学校、同潤会アパート(現表参道ヒルズ)などができている。が、それはほんの一部なので、それ以外は、細々した宅地などになっている。
 商業地区でなかったこの原二本通りが、いつ頃から商店が立ち始めたのか、ただの休日WEBサーチャーである私では、全く分からないですね。原二本通りの歴史的背景は、ネットには皆無。

タイ料理店LaiMai(2021年撮影)

 原宿、青山エリアだから当然、オシャレなお店が建ち並んでいるのだけど、たまにポツポツとレトロな建物がある。このタイ料理店のLaiMaiなんかは、木造であり、かなりの年季を感じる。定かではないが、元クリーニング店であったらしい。商店を木造で建てるなんてきっと戦前戦後の建物なんでは?と勝手に想像してみる。


青山まい泉本館ビル(2021年撮影)

 とんかつまい泉の青山本館ビルができたのは、昭和53年(1978)。

2021年撮影

 この辺りの建物も古そうだな。

秘密な焼き芋とRose Garden Aoyama(2021年撮影)

 オープン当初は、焼き芋のイモなイメージを覆したとメディアでもよく取り上げられた焼き芋屋、秘密な焼き芋。その隣のRose Garden Aoyamaともども裏は昭和な建物レトロな建物。これらは民家だったのか、商店だったのか。

2021年撮影

 しかし、冒頭にも書いたように90年代は、裏通りなイメージが非常に強かったのだが、カフェとかオシャレなお店が増えて、人通りもすごく増えたように感じるなぁ。撮影したのは、2021年、新型コロナウィルスで人出が激減していた時期にもかかわらず、人通りが多く、カフェや飲食店も賑わっていた。



 原二本通りの中程に東に向かう路地がある。


 路地を抜けると神宮前三丁目児童遊園という公園がある。公園ではなく、児童遊園という名なのだが、児童が遊ぶようなスペースには到底見えないのだが。しかも、この周囲に児童がどれほど住んでいるのだろうか。


 この児童遊園のさらに東には、都営青山北町アパートのあった場所である。2021年に訪れた時は、北側の建物はまだ残っていたが、下の写真のように立退が終わって取り壊される寸前のような状況だった。
 昭和32年(1957)から昭和43(1968)にかけて建設されたんだそうで、500世帯が入居していたようだ。当時は、都営アパートに若い世代の家族が住んだんでしょうから、1家族に1人、2人の子供がいたとして単純に500人から1000人くらいの子供が住んでいたんではないでしょうか。そう考えると、この界隈は、かなり活気のある賑やかな地域だったんではないでしょうか。さっきの児童遊園なんかでも子供がたくさん遊んでいたんですかね。


 しかしながら、今となっては、この青山、表参道界隈に、こんな昭和な団地がまだ存在していたというのが不思議だ。昭和にできた団地は、時代が進むにつれて新たな入居者は増えず、高齢者ばかりが増え、限界団地と化してしまっている。この都営青山北町アパートもそうだったんだろうか。


 青山北町アパートの南側はすでにクラス青山という高級高層マンションに建て替えられてしまっている。


 原二本通りに戻る。


 看板建築風な建物の蕎麦屋しろう


 蕎麦屋しろうの脇の路地を入ると、これまた激シブな木造建築の民家!これはすごなぁ。この界隈、古い住宅街なんだろうけど、これほどまでの古民家は残っていない。


二本通り、アパレルショップの移り変わり

 撮りためた写真で、原二本通りのショップの変遷を見てみましょう。いずれにしても、裏原のヤンチャなストリートブランドとは一線を画したショップ、コレクションブランドや、いわゆる90年代にはモード系などと呼ばれたようなブランドのショップが多いのかな。

今もあるショップ


Allegretto表参道店
ALEXANDER MCQUEEN、CHANEL、Christian Dior、FENDI、GIVENCHY、HERMES、HOGAN、LOEWE、LOUIS VUITTON、PRADA、SWAROVSKIなど、ハイブランドを扱うセレクトショップ。
東京都渋谷区神宮前4−9−5


Christpher Nemeth
今は亡き、ロンドン出身のデザイナーChristpher Nemethのショップ。Christpher Nemethは、1986年より活動を東京に移し、表参道にあったSECTORというセレクトショップで販売していた。それがそのうち、Christpher Nemethのものばかりになり、ショップも今の場所に移転し、Christpher Nemethのショップとなった。
東京都渋谷区神宮前4−13−5

grapevine by k3
1995年に代官山でオープンしたセレクトショップ。2006年に原二本通りにもオープンした。
東京都渋谷区神宮前4−9−5

Long Beach Antage
メンズ、レディースのアイテムがバランスよく揃うアメカジの古着を扱うお店。
東京都渋谷区神宮前3−6−5

今はないショップ


DUPE
DUFFER OF ST.GEORGE、CHRISTOPH LEMAIREなど、ヨーロッパのブランドを扱っていたショップ。90年代にあったが、いつ無くなったのか分からない。裏原ストリートブランド全盛期に、モード系のショップとして一線を画していたような気がする。

LEMONeD
1998年に突然亡くなった元X-JAPANのギタリストhide氏。ソロで大活躍中の死だった。音楽だけでなく、ピンクヘアーのhide氏のスタイルはぶっ飛んでいてオシャレだった。そのhide氏が亡くなる数年前に立ち上げた雑貨店。

Seesway
裏原ストリートファッション全盛期の2001年にオープンしたセレクトショップ。取り扱っていたブランドは、裏原ストリートブランドの第二世代とも言えるBRAITONE、REBIRTH、whizなどのドメスティックブランド。それぞれのブランドが独立店舗を持ち始め、Seeswayとしては、Seesway feelieやSeesway satiateなどの独自のブランドを展開し始めたが、2008年に閉店となった。

YELLOW RUBY?
1996年にオープンしたセレクトショップ。日欧のコレクションブランド、ストリートブランド、ビンテージなどあらゆるアイテムを扱っていた。特にオープン当初は、LADMUSICIANを扱っていたことで雑誌等でよく紹介されていた。当時の店内は、確か蛍光灯が並んでいるような内装で、さながらDAVID BOWIEのSTAGEというライブツアーのセットのようだったと思う。LADMUSICIANが独自の店舗を持つようになるとROTARやPUCHなどのブランドを扱っていたと思う。

二本通り(原宿二丁目商店会)地図、アクセス

東京都渋谷区神宮前3丁目、4丁目

二本通り(原宿二丁目商店会) 口コミ

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