2025年2月15日土曜日

一葉桜光月通り(一葉桜 千束入谷振興会)|春には一葉桜が咲きほこる、吉原の近くにある通り

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 根岸、下谷から吉原遊郭に通じる通りが金美館通り。金美館通りの入谷2丁目の交差点から南下する通りが一葉桜光月通り。一葉桜というのは荒川堤で栽培されていた桜の品種で、このあたりには光月通りのほかにも、一葉桜国際通り一葉桜小松橋通りなど、一葉桜の名を冠した通りがいくつかある。一葉桜が植えられている通りが多いんだな。


 一葉桜光月通りを南側から入ると、立派な木製の看板が建っている。
 この辺りは、歩いていると材木屋が多くある。東京の材木屋が多い地域というと木場だが、ここ光月町も、江戸の頃から材木屋が多い地域だった。そんな地域のアイデンティティーを示すために木製なのだろう。


 この看板は平成21年(2009)に建てられたようだ。「一葉桜 千束入谷振興会」と書いてあるので、おそらく商店街の組織の名前なのではないだろうかと思われるが、光月通りに商店は数えるほどしか残っていない。いや、残っていないというのが正しいのか、そもそも光月通りには昔から商店はなかったのか。
 そして、看板の冒頭には「旧光月町」と書かれている。今では、この通りの両サイドは千束と入谷という町名だが、明治後半から昭和40年頃までは光月町という地名だった。この地の地名の歴史への敬愛が込められているんだな。


 右の立派な看板建築は、2016年頃まではシャッター商店だったようだが、今は宿泊施設かなんかにリノベーションされている。その頃の隣の建物は「日本髪 峯原」という、髪結か何かがあったようだが、今は看板が無くなっている。
 浅草や吉原に近く、日本髪の需要が近年まであったのか。いや、吉原で日本髪の需要なんてもう100年も無いだろうな。


 角に建つ25㎡ほどの平屋。これは駄菓子屋とかそんな類の商店だったのかもしれない。間口の広さとか、中は土間のように見えるし。


 この一葉桜光月通り、果たして商店街なのか、一葉桜千束入谷振興会が商店街組織なのか分からないが、商店はほとんど見当たらず、マンションだらけである。


 ただ、このような看板建築がポツポツ残っているし、かなり遠い昔は賑やかな商店街だったのかもしれない。ネットで検索しても全く情報は出てこない。なんの手がかりもない。



 金美館通りとこの辺りで交差する。一葉桜千束入谷振興会の街灯と思われる街灯がこの辺りまでなので、一葉桜光月通りもここまでだと思われるが、もっと北上してみる。


 浅草の情報発信サイトによると、このは創業48年。建物は新しくなっているようだが、店内のソファーなんかは昭和レトロな懐かしい感じ。お昼前だったが、ご近所さんたちが集まるのか、多くのお客さんがいた。




 この酒屋はまだやっているのかどうかはよく分からないが、ワンカップ大関の自販機がレトロで沁みる。500円硬貨が使えるので昭和57年以降の自販機ということかな。ただ硬貨投入口は塞がれているので現役ではないようだ。
 こういう個人商店が、この通りには多くあったのかな。


 これは何のお店だったか、古い商店建築が残っている。


 戦前、戦後あたりからあると思われる和菓子の龍月



 昭和レトロなCOFFEヒデ。エメラルドグリーンのタイルが眩い。


 ショーケースを見る限り、舞台用かつらの会社かな。かつての芸の街、浅草に近いからなーと思ったが、この会社は大阪の会社。


 かなり年期の入った材木商。


 こちらも年期の入った建物。看板はまる剥げになっているが、「島津金蔵庫製作所」と書いてあったように見える。金蔵庫って金庫のことか?


 その島津金蔵庫製作所の前には龍泉寺がある。この辺りの町名、竜泉の元になったお寺だ。

葉桜光月通り(一葉桜 千束入谷振興会)の地図、アクセス

東京都台東区千束2丁目、入谷2丁目

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