2019年4月21日日曜日

立石すずらん通り商店会|戦後の赤線の面影を残す飲み屋街

ホーム東京の飲み屋街立石すずらん通り商店会



 東京、いや、日本の各地に「すずらん通り」は存在するかと思われます。私が知っているだけでも、大井町、千駄木、三軒茶屋、銀座、神田、荻窪・・・いたる所にあります。なぜなのかは、知らないのでさておいて、ここ立石にも「すずらん通り」があります。
 下町の酒都、せんべろの街などと評される立石において、このすずらん通りも、飲食店が並ぶ通りでありますが、安く飲める下町グルメというよりは、パブやスナックが多めで、地元のおじさまたちが更にもう一杯を求めて集まる通りなのではないでしょうか。




 このすずらん通りは、「立石駅通り商店街」の北端から京成線と平行に西に、そして突き当たりを駅に向かって南に伸びる通りです。



 なんてことはない飲み屋街なのですが、この通りはそれだけではありません。通りから何やら細い路地がいくつか抜けているのです。
 北側の京成線と平行な通りからは一本、道なのか判別すら難しい路地が。ただ、「パブR(アール)」と矢印の看板が、パブがあるというダジャレからつけた店名なのかと疑ってしまうような、看板がありますので、通れるのでしょう。


 そして、入ってみるとビックリ!なんと、スナックパラダイス!なのです。



 そして、この一角は、すずらん通りの西側の通りからも入れます。こちらも、細い路地ですが、かろうじて奥に何やらあるのが分かります。







 また、すずらん通りに戻ると、また、別の路地が。


 住宅街に入っていくのかと思いきや、スナックの看板があります。


 この路地には、飲食店は少ないですが、しかし、以前は飲食店であったのではないかと思わせるような建物があります。


 更に進むと、昼間なので、営業しているのか閉業しているのか分からないスナックがあります。
 これらの路地は、すずらん通り商店会に含まれるのか否か分かりませんが、これらの路地に酒場、スナックがあるのが大人の探検心をくすぐります。
 実は、この辺り、終戦間際、戦災にあった亀戸の私娼館が、移動してきて、私娼街を形成し始めたのが、この街の構造の形成の始まりなのです。戦後は、米軍相手の慰安施設となり、その後、赤線となりました。立石駅北口のすずらん通りに囲まれた一帯は、戦後、一大私娼街として発展したのです。
 この細い路地の奥にスナックがあるという構造は、戦後の私娼街の構造からなるものであるのでしょう。向島ではありませんが、このような細い路地の構造は、永井荷風が玉の井をラビラントと表現したような迷宮のような私娼街の構造を思い起こさせます。
 ということを知らずに散策し、この迷路のような路地を見つけて探検心爆裂で散策しましたが、実は、カフェー建築を残す建物も残っていることを知らず、見落とし、撮影もしなかったことを後悔しています。また、散策しなければなりません。

石すずらん通りの地図、アクセス



石、歴史散歩スポット

 立石は、昼飲み、せんべろだけでなくて、古くから交通の要衝であったため、歴史散歩も楽しめます。

立石祠
 立石のルーツの石。
 公園の中にある小さい石ですが、立石が交通の要衝であったことを示しています。

南蔵院
 平安時代からこの地にあるお寺です。
 近くからは、古墳も発見されており、古くからこの地が神聖な地であったことが分かります。




石、昼飲み、せんべろスポット


立石仲見世商店街
 下町風情豊かな商店街。
 アーケードの中には、もつ焼き、もつ煮、大衆酒場など居酒屋天国です。

呑んべ横丁
 戦後闇市から発展した飲み屋横丁。
 立石の中心的飲み屋街でしたが、再開発の危機に晒されています。

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