2020年8月31日月曜日

竹下通り|日本の若者文化の中心地

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 1970年代から、日本の若者文化の中心地となり、2000年代に入ってからは、日本の若者文化「KAWAII」を世界に発信する地へと進化を遂げた竹下通り。今では、竹下という地名も、原宿という地名も残っておらず、この一帯は、「神宮前」という地名になっていますが、駅は、「原宿駅」、通りの商店会は「竹下通り商店会」と、どちらも古い名前がそのまま残っており、やはり、「原宿」「竹下」でないと、しっくりきませんね。


下通りの地図、アクセス

東京都渋谷区神宮前1丁目
最寄駅:JR山手線 原宿駅
    東京メトロ副都心線・千代田線 明治神宮前駅
 



下通りの歴史 〜江戸時代から・・・

 「竹下」という地名がどれほど古いのか江戸切絵図を見て見ると、そのような地名はありません。「竹下」という地名は、昭和40年(1940年)まで使われていたようです。今でこそ、大賑わいですが、江戸時代のこの辺りは、ほとんど田んぼだったようで、東京(江戸)とはいえ、田舎だったようです。


 原宿という地名は、江戸切り絵図「東都青山絵図」にも描かれています。今の原宿の中心地というよりは、青山、千駄ヶ谷寄りの地域が原宿町だったようですね。竹下通りであろう場所は、上の切り絵図の赤で囲った部分のあたりになろうかと思います。松平美濃守のお屋敷と、水の石見守のお屋敷に挟まれた畑だったのだろうと思われます。
 大正9年(1920年)に、代々木に明治神宮ができてからは、表参道ともども、この辺りは、参詣者が多く訪れるようにあり、竹下通りも、門前町として、お土産屋さんや食堂等があったようです。


 そのような地域が、流行の発信地として変化を遂げた一つの要素は、今の代々木公園ありは、戦後、GHQに接収され、アメリカ兵が暮らすための「ワシントンハイツ」が建てられました。これにより、表参道には、「KIDDY LAND」など、外国人向けのお店ができていきました。このように、アメリカ兵と家族が暮らすことにより、アメリカ文化が身近な街となりました。1961年には、日本に返還されますが、ワシントンハイツの跡地は、オリンピック村となり、そのまま、やはり、海外の人が集まり、海外の文化がすぐそこにある場所でありました。そのような地域に、今度は、当時の文化人やクリエイターが住むようになり、原宿は、日本の中でも流行の発信地として発展していったのです。


 そのような原宿変遷の背景のもと、竹下通りも連動するように、いささか独自に発展しました。昭和49年(1974年)に竹下通りの明治通り側にヨーロッパブランドのショップが入ったパレフランスがオープンしてから、竹下通りに商店が出来始め、昭和52年(1977年)に竹下通り商店会が発足しました。この頃には、クレープショプも開店しており、最初はあまり売れなかったようですが、その後、クレープショップが乱立し、さながら観光地のような様相を示してきました。


 なぜ、そんなにクレープを食べたいのか、おじさんにはわかりません。


 昭和54年(1979年)には、「ブティック・竹の子」がオープンし、代々木公園で踊りまくっていた竹の子族御用達のショップになりました。竹の子は、今もまだ健在です。パッと見、どのような方にニーズがあるのか分かりません。

ブティック竹の子

 80年代には、ファッションとはかけ離れて、タレントショップが乱立する異常事態が発生し、また違った意味で人が集まり、より観光地化しました。ある意味、タレントショップは、あの当時、流行であったので、流行の先端だったのかもしれません。

竹下通り 洋服屋


 90年代に入ると、明治通りを隔てた向こう側の路地の奥、プロペラ通りとんちゃん通り旧渋谷川遊歩道路などにストリートファッションのお店ができ始め、裏腹ムーブメントが起こりました。そのような硬派なストリートファッションのお店に紛れて、「KAWAII」文化を先取りした雑貨屋「6%DOKIDOKI」がオープンしたり、ゴスロリ系ブランドのはしりのような「Bauty:Beast」などもオープンしました。竹下通りには、もともと、少女が集まっていたことから、硬派なストリートブランドは渡って来ず、「KAWAII」文化やゴスロリショップが渡ってきました。そうして、2000年代は、竹下通りは「KAWAII」文化の集積地となったのです。




 アメリカン50’Sをモチーフとしたようなデザインに、カワイイ文化が混じったような看板が竹下通りを引き立てています。




 竹下通りを東に抜けると明治通りと交差し、その先は原宿通り(とんちゃん通り)になります。90年代後半から、いわゆる裏原と呼ばれた地域ですね。

000年前後の竹下通り

 2000年当時、裏原ブーム真っ只中で、原宿駅から竹下通りを抜けて裏原方面によく行ってました。デジカメを持ち始め、当時の性能の悪いデジカメで、ノーテクニックで撮ったピンボケの写真が残ってます。

2000年頃の原宿駅

 原宿駅の竹下口から、竹下通り入り口付近ですが、竹下口の様子は全く変わりありません。人の多さも、今と全く変わりありませんね。かわいい文化みたいなものは見当たりませんかね。

2000年頃の竹下通り入口

 当時のストリートファッションみたいな人が写っていたら面白いですが、ピンボケでよくわからないですね。そもそも、竹下通り方面には、そっち系の人たちはあまりいなかったのかもしれません。

2000年頃の竹下通り入口

 そうは言っても、竹下通りの路地裏には、SEXY DYNAMITE LONDONという古着屋さんがあり、当時のパンク➕ストリートファッションの人達には、御用達のお店でした。

SEXY DYNAMITE LONDON

 小さいお店でありましたが、ヴィヴィアンウエストウッドの古着や、レザーアイテムなどが所狭しと販売されていました。ついには、2号店ができて、古着だけでなく、オリジナルまで手掛けるようになりました。
 いつの間に無くなってしまったのか・・・

SEXY DYNAITE LONDON

 その他にも、竹下通りの路地裏には、古着屋がありましたし、竹下通りのメイン通りにも今でもありますが、シカゴなどの古着屋が、当時もありました。

2000年頃の竹下通りの古着屋

2000年頃のシカゴ竹下通り店

 ストリート系の古着屋だけでなく、Baldotは、ヨーロッパのハイブランド、クレージュ、ディオール、グッチなどのヴィンテージを扱うこだわりの古着屋もありました。

2000年頃にあった古着屋、Baldot

2000年頃の竹下通り

 竹下通りの人混みです。ヤマンバファッションぽい人いますね。2000年初頭ならではです!まだやはり、この頃は、カワイイ文化が始まっていないのか、カラフルさが感じられません。単に、私の持っていたデジカメの性能の問題かもしれませんが。

2000年頃のマリオンクレープ

 マリオンクレープは、この当時からももちろんあります。と言いますか、1977年からあるそうです。

2000年頃の竹下通り



下通り 情報交換

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