2021年2月20日土曜日

榮照山 龍谷寺|「たんぼとけ」のある谷中三崎坂のお寺。たんぼとけって何だ!?

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 寺伝には正安2年(1299−1302)に、下谷上野町に開かれたとされているようです。正安というと鎌倉時代になります。ただ、正安という年号は誤りではないかといわれており、正保年間(1645−1648)か慶安年間(1648−1652)ではないかともされており、詳細は分からないようです。
 明暦の大火後、寛文2年(1662)に、谷中三崎坂に移ってきたようです。


 山門前に、「谷中七福神 毘沙門天安置」という石碑があります。が、谷中七福神の毘沙門天は、天王寺ですので、なぜこのような石碑があるのでしょうか。七福神、それぞれのお寺に関して、変化もあったようですので、龍谷寺が谷中七福神の毘沙門天であった時期があったのでしょうか。


 こぢんまりとした境内に、木造瓦屋根のこぢんまりとした本堂が美しいです。


 そして、境内には、「たんぼとけ」なるものがあります。


 「たんぼとけ」なんて初めて見ました。石柱には、「百日咳守護」と彫られていますので、咳や痰から守るのかと理解しました。


 小さなお堂には、「源家侍所別当佐奈田余一義忠」という人が祀られているようですが、誰?
 調べてみますと、佐奈田余一義忠という人は、源頼朝に仕えた武将のようです。一般的には、佐奈田義忠といわれています。義忠は、痰のからみやすい人だったようで、源頼朝と大庭景親が戦った石橋山の戦いの際、痰がからみ声が出せなくなり、味方を呼ぶことができず、討ち取られてしまいました。
 このようなことから、佐奈田義忠は、痰、咳などに霊験があるとされ、「たんぼとけ」として祀られるようになったそうです。その石橋山古戦場(小田原市)には、佐奈田霊社が咳の神様として親しまれていますが、なぜ、この谷中に、佐奈田義忠の「たんぼとけ」があるのか、これまた分かりません。

江戸切絵図で見る龍谷寺


 江戸切絵図には、現在とほぼ同じようなところに書かれています。が、江戸切絵図では、永久寺と龍谷寺の間に大通寺というお寺がありますが、現在、永久寺と龍谷寺の間にそのようなお寺はありません。
 その代わり、江戸切絵図では、龍谷寺の西隣は、蒔田左エ門という武家屋敷となっていますが、ここに、現在は本通寺があります。

龍谷寺の地図、アクセス

 

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