以前は、紀ノ善横丁と呼ばれていたそうです。神楽坂通りの紀の善さんという甘味屋さんの脇の路地がこの小径ですから、そのように呼ばれていたのでしょうか。この紀の善さんは、1860年代の慶応年間創業の老舗です。創業当初は口入れ屋として創業し、その後、寿司屋となり、そして、現在は甘味処となっており、業態を変え、今に至るようです。
神楽小路を歩いていると、東に激烈な昭和レトロ感を放つ看板が目に入ります。みちくさ横丁です。神楽小路は飲食店が多数ある通りですが、食事をするだけでなく観光目的であれば、神楽小路の見どころは、このみちくさ横丁でしょう。
さらに奥に歩いて行くと、1974年よりある名画座のギンレイホールがあります。名画座は少なくなっていますが、この名画座の存在が、神楽小路に文化的エッセンスを与えているように感じます。
さらに奥に歩いて行くと、1974年よりある名画座のギンレイホールがあります。名画座は少なくなっていますが、この名画座の存在が、神楽小路に文化的エッセンスを与えているように感じます。
神楽小路の地図、アクセス
神楽坂、その他の通り、路地
神楽坂には、無数の路地がああり、それぞれ歴史があります。そして、それぞれの路地には、かつて芸者さんがたくさんいました。芸者さんは、京都だけではないのです。かつての花街華やかりし頃にちなんだ通りがたくさんあります。神楽坂散策のご参考にして下さい。(五十音順)・神楽坂通り
神楽坂のメインストリート。
地元の古い商店から、おしゃれなグルメなどいろいろ楽しめる通りです。
ここから様々な路地が分岐しています。
・神楽坂仲通り
数少ない料亭のある通りです。
かつては、この通りも料亭が軒を連ねていたようです。
本多横丁と神楽坂仲通りを結ぶ路地です。
その名のとおり、ひょいと路地に入ると見失ってしまうくらい細く入り組んだ路地です。
ここでお忍びで芸者遊びをしていたのでしょう。
・芸者新路
かつては、見番、置屋、待合が軒を連ねていた通りなので芸者新路という名前です。
しかしながら、今は一軒もありません。飲食店があるのみです。
・見番横丁
見番(芸者を手配する場所)があることから付けられた名前。
今でも芸者を手配する東京神楽坂組合があります。
以前は、神楽坂界隈に見番はいくつかあったのだろうと思います。
・地蔵坂
今は閑静な住宅街ですが、明治・大正期までは文化香る繁華街でした。
その跡を追って散策してみましょう。
・兵庫横丁
神楽坂の中でも江戸情緒が楽しめる石畳の細い路地です。
今では数少くなった料亭や、有名な作家の多く泊まった旧旅館などがあります。
・紅小路
本多横丁から分岐する路地です。
老舗の飲食店などがあります。
・本多横丁
横丁という名前ですが、神楽坂界隈ではそれなりに大きな通りです。
江戸時代には本多修理屋敷脇横丁と呼ばれていた古い通りです。
この本多横丁からはいくつもの路地があります。
・見返し横丁
本多横丁から分岐する路地です。
スナック、飲食店のある短い路地です。
・見返り横丁
本多横丁から分岐する路地です。
今では少なくなった料亭がある短い路地です。
・みちくさ横丁
神楽小路から分岐する路地です。
神楽坂界隈では珍しい、昭和レトロ横丁です。
神楽坂観光-------寺社巡り
・鎮護山 善國寺
江戸山毘沙門天の一つ。狛犬ならぬ、狛虎がいます。
江戸から明治にかけては縁日で賑わい、神楽坂が繁華街となった要因の一つです。
・樹王山 正覚院 光照寺
戦国時代の牛込城址に建てられたお寺です。
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