2019年3月24日日曜日

神楽坂通り|路地裏歴史散歩[東京マップ]

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 東京の六花街(新橋、赤坂、芳町、向島、浅草、神楽坂)の一つ神楽坂。最盛期には700名もの芸者が在籍していた大変賑わった繁華街でした。
 その神楽坂界隈のメインストリート「神楽坂通り」。飲食店が多く、おしゃれなバーなどもあります。メインストリートとあって、観光に訪れる方もたくさん通りますし、飲食店なんかは、観光地価格でちょい高めだったりします。そんな中で面白いのは、古くからありそうな、生活に根ざした地元の方向け?な商店がちらほらあることです。

 くつ屋さん。神楽坂にわざわざ靴を買いに来る人はいないでしょう。何かこだわりのショップでしたら別ですが、見るからに、普通のくつ屋さん。いや、普通以上に普通のくつ屋さん。これは、地元の方専用のくつ屋さんなのでしょう。


 レトロな佇まいのお店。店先には、おもちゃが陳列してあるので、おもちゃ屋さんかと思いきや、陶器屋さんです。ブリキの古いおもちゃも置いてあるようです。


 神楽坂といえど、やはり、奥様方が訪れそうなオシャレショップがあります。神楽坂にお住まいになられている奥様方が来られるのでしょうか。


楽坂通りの歴史

 神楽坂通りができたのは、江戸時代です。牛込御門から酒井家下屋敷までの通りとしてつくられました。もともと、武家屋敷や町家の多い町であり、独特な文化を形成することになりました。寛政5年(1973)に麹町から毘沙門天善国寺が移転してきて、毘沙門天の縁日では、たくさんの人が集まり賑わいを見せ、また、赤城神社、行元寺付近では岡場所が形成されました。

毘沙門天善国寺


市ヶ谷牛込絵図

 上の切絵図で、東端に牛込御門、西に小浜藩・酒井家の下屋敷があり、牛込御門から出てすぐの通りに神楽坂と記載があります。行願寺と記載されているのが行元寺だと思われますが、神楽坂牛込近辺では非常に大きな寺院だったことが分かります。それ故に、岡場所が形成されたのでしょう。岡場所とは、現在の風俗街ですから、こんな武家屋敷が密集していたところに風俗のお店があったことになります。
 切絵図を見ると、小さな武家屋敷が多数あり、入り組んでいます。神楽坂の路地裏に入ると迷路のように狭い路地が入り組んでいますが、この名残なのでしょう。岡場所から、花街として発展し、このような入り組んだ路地に、料亭が作られていきました。
 高度成長期頃までは、芸者の行き交う情緒豊かな花街でしたが、時代流行の変化から、今では、芸者も少なくなり、芸者さんを呼べる料亭も数えるほどしかありません。


 歴史のある古い通りなので、路地の構造や名前、古くからあるお寺があったりと、歴史を感じる通りではありますが、それ以上何も残っているものはありません。老舗のお菓子屋さんもありますが、昭和22年創業です。五十鈴さん。


 江戸時代から人の集まる通りであったので、何か残ってないのかなと思いますが、空襲で焼かれ、そして、バブル時代に新陳代謝され、今となっては、やはり、路地の構造や名前から、時代を感じることが醍醐味なのであります。
 神楽坂通りから南北には、花街のゆかりを感じる「見番横丁」、江戸時代にあった武家屋敷の家名に因んだ「本多横丁」、「小栗通り」などの横丁、小径があります。

楽坂グルメ

・カレーショップ ボナッ

 外堀通りから入るとすぐ北側にあるカレー屋さんです。昭和レトロな佇まいがまずオシャレなお店です。昭和44年(1969)創業というので、かなりの老舗になります。店内は、カウンター10席の小さなお店です。入り口には、ホテルレストラン・欧風カレー製法と記載されています。本格的インドカレーではなく、上品な旨味のあるカレーでした。辛さが選べるので、並みを選びましたが、旨味のあるカレーですので、並みだと少々甘い感じがしました。
 カレー屋さんといえば、私の頭の中ではロックと結びつくのですが、USENだと思われますが、ロックが流れていました。法政大も近いですし、私の頭の中では、学生時代、学生運動やロックに日々を費やしていた人が、インドに興味を持ち、母校に近いこの地でカレー屋さんを始めたというストーリーが勝手に出来上がりました。それにしては、マスターは少々若い感じでしたので、違いますかね・・・

楽坂の地図、アクセス

・JR飯田橋駅・西口から牛込橋を渡ってすぐ
・東京メトロ、都営地下鉄・飯田橋駅、B3出口出てすぐ
・都営地下鉄・牛込神楽坂駅、A2出口を出て、地蔵坂通りを抜けると神楽坂通り


楽坂、その他の通り、路地

 神楽坂には、無数の路地がああり、それぞれ歴史があります。そして、それぞれの路地には、かつて芸者さんがたくさんいました。芸者さんは、京都だけではないのです。かつての花街華やかりし頃にちなんだ通りがたくさんあります。神楽坂散策のご参考にして下さい。(五十音順)

神楽小路
 神楽坂下からすぐの路地です。



神楽坂仲通り
 数少ない料亭のある通りです。
 かつては、この通りも料亭が軒を連ねていたようです。

かくれんぼ横丁
 本多横丁と神楽坂仲通りを結ぶ路地です。
 その名のとおり、ひょいと路地に入ると見失ってしまうくらい細く入り組んだ路地です。
 ここでお忍びで芸者遊びをしていたのでしょう。

芸者新路
 かつては、見番、置屋、待合が軒を連ねていた通りなので芸者新路という名前です。
 しかしながら、今は一軒もありません。飲食店があるのみです。

見番横丁
 見番(芸者を手配する場所)があることから付けられた名前。
 今でも芸者を手配する東京神楽坂組合があります。
 以前は、神楽坂界隈に見番はいくつかあったのだろうと思います。

地蔵坂
 今は閑静な住宅街ですが、明治・大正期までは文化香る繁華街でした。
 その跡を追って散策してみましょう。

兵庫横丁
 神楽坂の中でも江戸情緒が楽しめる石畳の細い路地です。
 今では数少くなった料亭や、有名な作家の多く泊まった旧旅館などがあります。

紅小路
 本多横丁から分岐する路地です。
 老舗の飲食店などがあります。

本多横丁
 横丁という名前ですが、神楽坂界隈ではそれなりに大きな通りです。
 江戸時代には本多修理屋敷脇横丁と呼ばれていた古い通りです。
 この本多横丁からはいくつもの路地があります。

見返し横丁
 本多横丁から分岐する路地です。
 スナック、飲食店のある短い路地です。


見返り横丁
 本多横丁から分岐する路地です。
 今では少なくなった料亭がある短い路地です。

みちくさ横丁
 神楽小路から分岐する路地です。
 神楽坂界隈では珍しい、昭和レトロ横丁です。

楽坂観光-------寺社巡り


・鎮護山 善國寺
 江戸山毘沙門天の一つ。狛犬ならぬ、狛虎がいます。
 江戸から明治にかけては縁日で賑わい、神楽坂が繁華街となった要因の一つです。



・樹王山 正覚院 光照寺
 戦国時代の牛込城址に建てられたお寺です。



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