2019年5月19日日曜日

鎮護山 善國寺|江戸山毘沙門の一つ

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 文禄4年(1595)に開設されたお寺です。開設当初は、日本橋馬喰町に開設されました。徳川家との関係が深く、「鎮護山・善國寺」という山号、寺号を付けたのは、徳川家康であり、馬喰町の寺地を与えたのも徳川家康です。
 そして、寛文10年(1670)、火災により焼失した際には、徳川光圀が麹町へ移転、再建させました。
 火事と喧嘩は江戸の華ですから、寛政4年(1792)にも火災にあい、その際に、神楽坂に移転してきました。
 江戸名所図会の牛込神楽坂の項には、右上に「毘沙門堂」「善國寺」と記載されています。


 この名所図会では良く分かりませんが、善國寺のはす向かいには、行元寺があり、善國寺周辺では縁日が、行元寺周辺には岡場所が形成され、色々な意味で、この辺りは江戸時代は栄えた場所であったのです。下の江戸切絵図を見てもらえれば、善國寺と行元寺(行願寺)の位置関係が分かります。


 毘沙門天信仰では、虎を毘沙門天の使いとされており、狛犬や、狛狐ではなく、虎の石像「石虎」があります。



 境内では、縁日ではありませんが、いろいろイベントが催されているようです。3月のこの日は、神楽坂で「本のフェス」が行われていましたが、善國寺も会場となっていました。


善國寺の地図、アクセス



神楽坂観光-------寺社巡り

・樹王山 正覚院 光照寺
 戦国時代の牛込城址に建てられたお寺です。



神楽坂観光-------通り、路地巡り
 神楽坂には、無数の路地がああり、それぞれ歴史があります。そして、それぞれの路地には、かつて芸者さんがたくさんいました。芸者さんは、京都だけではないのです。かつての花街華やかりし頃にちなんだ通りがたくさんあります。神楽坂散策のご参考にして下さい。(五十音順)

神楽小路
 神楽坂下からすぐの路地です。


神楽坂通り
 神楽坂のメインストリート。
 地元の古い商店から、おしゃれなグルメなどいろいろ楽しめる通りです。
 ここから様々な路地が分岐しています。


神楽坂仲通り
 数少ない料亭のある通りです。
 かつては、この通りも料亭が軒を連ねていたようです。

かくれんぼ横丁
 本多横丁と神楽坂仲通りを結ぶ路地です。
 その名のとおり、ひょいと路地に入ると見失ってしまうくらい細く入り組んだ路地です。
 ここでお忍びで芸者遊びをしていたのでしょう。

芸者新路
 かつては、見番、置屋、待合が軒を連ねていた通りなので芸者新路という名前です。
 しかしながら、今は一軒もありません。飲食店があるのみです。

見番横丁
 見番(芸者を手配する場所)があることから付けられた名前。
 今でも芸者を手配する東京神楽坂組合があります。
 以前は、神楽坂界隈に見番はいくつかあったのだろうと思います。

兵庫横丁
 神楽坂の中でも江戸情緒が楽しめる石畳の細い路地です。
 今では数少くなった料亭や、有名な作家の多く泊まった旧旅館などがあります。

紅小路
 本多横丁から分岐する路地です。
 老舗の飲食店などがあります。

本多横丁
 横丁という名前ですが、神楽坂界隈ではそれなりに大きな通りです。
 江戸時代には本多修理屋敷脇横丁と呼ばれていた古い通りです。
 この本多横丁からはいくつもの路地があります。

見返し横丁
 本多横丁から分岐する路地です。
 スナック、飲食店のある短い路地です。


見返り横丁
 本多横丁から分岐する路地です。
 今では少なくなった料亭がある短い路地です。

みちくさ横丁
 神楽小路から分岐する路地です。
 神楽坂界隈では珍しい、昭和レトロ横丁です。

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