安政5年(1858)に発行された「御府内往還其外沿革図書 十一」には、「本多修理屋敷脇横丁」と記載があります。絵図には横丁の記載はありませんが、東南位置に「本多修理」と記載があります。本多修理(しゅり)とは、江戸時代の旗本の名前です。本多横丁ではありませんが、江戸時代には、本多修理屋敷脇横丁と呼ばれていたことが分かります。
御府内往還其外沿革図書 十一 |
本多横丁には、料亭や待合はもう存在しませんが、以前、待合に使われた「旧常盤亭本館」が残っています。周囲のコンクリート建築とは違う唐破風玄関の木造建築で、花柳界華やかりし頃を偲ばせます。昭和中期の建築だそうです。待合とは、芸妓との遊興、飲食をする場所で、京都では、お茶屋と言いますね。
この本多横丁からは、複数の枝道があり、紅小路、芸者新路、見返し横丁、かくれんぼ横丁、見返り横丁の計5つの路地があり、それぞれの路地にも飲食店があります。
本多横丁には、芸者さんを呼べるお店はありませんが、飲食店や、石畳の通り、本多横丁から枝のように分かれる路地は、花街の風情を偲ばせます。
本多横丁には、芸者さんを呼べるお店はありませんが、飲食店や、石畳の通り、本多横丁から枝のように分かれる路地は、花街の風情を偲ばせます。
本多横丁の地図、アクセス
神楽坂、その他の通り、路地
神楽坂には、無数の路地がああり、それぞれ歴史があります。そして、それぞれの路地には、かつて芸者さんがたくさんいました。芸者さんは、京都だけではないのです。かつての花街華やかりし頃にちなんだ通りがたくさんあります。神楽坂散策のご参考にして下さい。(五十音順)・神楽小路
神楽坂下からすぐの路地です。
・神楽坂通り
神楽坂のメインストリート。
地元の古い商店から、おしゃれなグルメなどいろいろ楽しめる通りです。
ここから様々な路地が分岐しています。
・神楽坂仲通り
数少ない料亭のある通りです。
かつては、この通りも料亭が軒を連ねていたようです。
本多横丁と神楽坂仲通りを結ぶ路地です。
その名のとおり、ひょいと路地に入ると見失ってしまうくらい細く入り組んだ路地です。
ここでお忍びで芸者遊びをしていたのでしょう。
・芸者新路
かつては、見番、置屋、待合が軒を連ねていた通りなので芸者新路という名前です。
しかしながら、今は一軒もありません。飲食店があるのみです。
・見番横丁
見番(芸者を手配する場所)があることから付けられた名前。
今でも芸者を手配する東京神楽坂組合があります。
以前は、神楽坂界隈に見番はいくつかあったのだろうと思います。
・地蔵坂
今は閑静な住宅街ですが、明治・大正期までは文化香る繁華街でした。
その跡を追って散策してみましょう。
・兵庫横丁
神楽坂の中でも江戸情緒が楽しめる石畳の細い路地です。
今では数少くなった料亭や、有名な作家の多く泊まった旧旅館などがあります。
・紅小路
本多横丁から分岐する路地です。
老舗の飲食店などがあります。
・見返し横丁
本多横丁から分岐する路地です。
スナック、飲食店のある短い路地です。
・見返り横丁
本多横丁から分岐する路地です。
今では少なくなった料亭がある短い路地です。
・みちくさ横丁
神楽小路から分岐する路地です。
神楽坂界隈では珍しい、昭和レトロ横丁です。
神楽坂観光-------寺社巡り
・鎮護山 善國寺
江戸山毘沙門天の一つ。狛犬ならぬ、狛虎がいます。
江戸から明治にかけては縁日で賑わい、神楽坂が繁華街となった要因の一つです。
・樹王山 正覚院 光照寺
戦国時代の牛込城址に建てられたお寺です。
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