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2023年5月7日日曜日

三とも通り①|路地裏にマンションや住宅に囲まれて料亭がある向島花街

ホーム東京の通り三とも通り

 墨田区向島の水戸街道から墨堤通りまでを抜ける細い路地。これを「三とも通り」という。なんで三とも通りなのか?それがさっぱり分からない。三ともって何?いくら調べても出てこない。地名に関係があるのか?向島?須崎?寺嶋?関係ないよな・・・。人名?お店の名前?通り沿いに三とも荘というのがあるのだが、それがある通りだから?いや、三とも荘って何なんだ?そんなに大事な荘なのか?分からない・・・。
 それはそうと、この三とも通りは、見番通り(向島)桜橋通りなどとともに、向島花柳界のエリアの一つだった。見番通りや桜橋通り、そしてその路地裏には料亭や料亭跡が点在しているのだが、この三とも通りにも料亭や料亭の痕跡が多くある。
 今もやっている料亭があり、向島地区は、東京でも芸者さんの在籍数は一番多いので、たまに芸者さんが歩いているはずだ。


 水戸街道から入ってすぐ、上の写真の左奥の茶色い建物が月笛という料亭。そして右手に見えるマンションには、2019年頃まで「美舟音」というそば屋があった。そば屋といってもただのそば屋でなくて、店内に水路があり、いかだに乗せて蕎麦が流れてくるという「いかだ流しそば」で有名だった。下町のエンターテイメントな老舗だったのだけれど、コロナでダメになったのかな。


 すぐ路地を入ると料亭道成寺


 これは何だ?どこにもお店の名前が書いていない。ネットで調べても何も出てこない。料亭?


 この通り、北側から見るとK字になっているので、K字路としておこう。このK字路の角には料亭だったんだろうと思える風情豊かな建物がある。



 路地に入ると呉服石井とあるのだが、この入りにく面構え。というか全くお店に見えない。知らないお客さんはこなくても良いという、ご贔屓さんだけでやっているんだということなんだろうか。それがまたご贔屓さんのプレミアム感をくすぐるんだろうな。


 料亭入船。昭和20年(1945)創業の老舗。


 入船の隣には大道芸術館というのがあるのだが、建物がどう見ても料亭。調べてみると「市山」という料亭だったようだ。



 昭和初期創業の天ぷらのお店、花むら。向島の花柳界にある天ぷら。想像通りの味とお値段(でしょう)。庶民にはなかなか行く勇気が出ない・・・。



 昭和24年(1949)創業の料亭きよし。こんなひっそりしたところにも料亭がある。



 レトロな美容室。もうやってないのかな。


 ふぐ料理の竹芳と手前はそば屋浅野屋。食べログの情報が浅くてやっているのかどうかよく分からない。


 路地裏のここら辺にもスナックがあったようで、看板が残っているが閉業してるっぽい。初めて訪れた私にとっては、こんな住宅街にスナックが平然とあるのが不思議なのだけど、この街の花街という繁華街からの変遷を知る人にとっては、さほど違和感ないのだろう。


 芸者置屋をリノベーションした居酒屋らん亭。こんな路地を以前は、芸者さんが歩いていたんだ。


 路地裏のレトロな建物。今は民家なんだろうけど、昔は何かのお店だったんだろうな。


 こんな狭い路地にも、住宅なのか、過去には何かのお店?それとも待合とか?と思わせるような建物が残ってる。


 そして、マンションに囲まれた料亭千代田。こんな路地裏だけど、とても立派な建物。サイトを見ると、お部屋もすごそう。ああ、日本人として生まれたからには一度でいいから行ってみたい。



とも通り地図、アクセス

東京都墨田区向島5丁目

とも通り 情報交換

三とも通りについて、訪れた感想、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。

2023年5月6日土曜日

桜橋通り|レトロな商店で花街の薫り

ホーム東京の通り>桜橋通り


 隅田川に架かる橋で唯一歩行者専用の橋、桜橋。両岸の隅田公園を行き来できるように架けられた橋。墨堤は桜の名所なので桜橋となったのだろう。桜橋が架かったのが、昭和60年(1985)。桜橋通りの名も、桜橋ができてからそういう名前になったんだろう。


 向島から押上に向かう桜橋通り。向島はかつて華やかな花柳界があったところ。そして、かつてほどの賑わいは無くなってしまっているものの、今では都内屈指の花街と言われているところ。桜橋通りと交差する見番通りには、今でも路地裏などに料亭が散在している色街なのだ。
 この桜橋通りの裏にも料亭が残っている。


 しかし、向島一帯の桜橋通りに限っては色艶は失せている。レトロな建物も残っていて、上の写真の右の建物。よく見ると、一階と二階の軒先あたりが銅板、そして二階の戸袋も銅板。二階の上部、今はトタンになっているけれども、看板建築。なんの焦点だったのか、一階の壁面がピンクに塗られている。商店としていろいろ変遷して、今は民家になっているんだろう。


 その路地裏に入って見ると、なんとか荘とか、なんとかハイツが密集している路地があった。ゲストハウスもあった。ゲストハウスはもともと他と同じようにアパートとかだったんだろう。
 これらの建物は、そこそこ古くてこの辺りが花柳界で華やかだった頃からありそうなんだけど、華やかな花街には似つかわしくない路地だな。どうしてここにこんな路地があるのだろうか。不思議なのが、屋根だけでなく、玄関や一階と二階の境目に瓦をあしらったりしている建物が多い。なんとか荘とかなんとかハイツにそんなしつらえをするのだろうか。なんか不思議だ。花街に近いから連れ込み旅館とかがあったのかな。


 染め物と洗い張りの店がある。花街には必要なサービスですな。


 桜橋通りと見番通りが交差する角にある喫茶店、カド。昭和33年(1958)創業の老舗。店内は、シャンデリアが下がり、壁から天井まで西洋絵画で埋め尽くされている。昭和レトロな外観からは想像できないレトロ・ゴージャスな空間なのだ。
 このお店は、志賀直哉の異母弟、志賀直三が設計したものらしい。
 しかし、この痛々しい画像を見ての通り、壁が崩落してしまっていて、お店が存続できるのかどうなのか。


 お昼は、ここで食べようと決めていた町中華サカエ。なぜかというと、手頃に食べれそうなお店がここくらいしか見当たらなかったから。それだけ。
 ご老体にむち打ちながら中華鍋を振るう店主と、明るくキビキビとホールを回す娘さんで営業している。先客には、多分、韓国からだと思われる女性たちがいた。こんな辺鄙なところに海外から来たのか。さすが押上、スカイツリーからすぐそこだ。こんなところまで海外の観光客が迷い込んでくるのか。いや、迷い込んできたのかも知れないが、日本のこういう文化をぜひ他の方も味わってほしいものだ。


 ビールを頼んだら、小鉢が3つも!中華屋でビールを頼んだら小鉢が1個つくことはよくあるが、3つも!これでビール1本開けてしまいそうだ・・・。このちょっとしたポテトサラダがとても美味しかった。ニンジンまでクッタクタに味が染みている。


 餃子定食を頼んだんだが、これも生卵に、ひじき、お新香と大盤振る舞い!これはもうお腹パンパン。
 ビールをおかわりしてゆっくり飲んでいたら、他のお客さんがはけて、ひと段落ついたホールの娘さん(娘さんといっても私と同年代なのだろうが)が、気さくに色々、向島のことを話してくれた。
 娘さんとしても、向島の花柳界が寂れていくのを惜しんでいるようだ。
「昔はもっと華やかだったんですよ。マンションばっかりできて、前も黒塀の料亭が取り壊されてマンションができちゃったんですよ。」
 そして向島をものすごく愛しているようだ。
三囲神社行きましたか?三井の守り神なので、奥の方に行くと三角になった鳥居があるんですよ。」
「あ、見ましたよ。」と答えたけど、少し酔っていたので記憶が飛んでいた。見ていない・・・。
牛嶋神社のお祭りが9月にあるんですけど、すごいですよ!」
 そしてこのお店は、
「父が17歳の時からこのお店で勤め始めて、その後、譲り受けたんですよ。」
なるほど、往時はかなり繁盛したんだろうな。今後は、お店はどうするのだろう。お父さんはもう高齢なので、急にお店を休みにすることがあるみたいで、もしまた来るこ時は電話してから来た方がいいですよってことだった。確か80いくつって言ってたような気がする。




 足袋専門店めうがや。創業は慶応3年(1867)。浅草で創業して、関東大震災後、向島に移ってきたということだ。花街だからこそのお店だな。このようなお店が存続していることが素晴らしい。


 桜橋通りは、向島から押上まで伸びる通りなのだけど、とりあえず今回は、向島の花街までで、押上までもいろいろありそうなのでまた散策したいな。

橋通りの地図、アクセス

東京都墨田区向島2丁目、5丁目
 


橋通り 情報交換


桜橋通りについて、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。私も知らないことが多いので、ぜひお願いします。

見番通り(向島)②|国の登録有形文化財に指定されるほど歴史ある料亭がある

ホーム花街(花街の痕跡)>見番通り(向島)②
ホーム東京の通り>見番通り(向島)②


 向島花街、見番通り①の続き。見番通りは、途中、桜橋通りと交わってさらに北東に進む。これまでと同じように路地裏には、ちょこちょこ飲食店がある。下町よろしく昼から飲めるような酒場はない。そこはやはり、由緒正しき向島花街だからなのだろうか。昼からもつ焼き食べながら酒を飲むというような生活とは無縁の旦那たちが遊びにくるところだし。



 ここも路地裏にある立派な料亭櫻茶ヤ。一度でいいから行ってみたい。サイトを見て下さい。かなり豪勢ですよ。


 これは料亭跡だろうか。


 見番通り沿いに唯一ある料亭美家古。建築年代は不詳だけれど関東大震災後に建てられたと考えられていて、国の登録有形文化財にも指定されている貴重な料亭。そして現役。



 またまた路地裏にひっそりと料亭ふ多葉


 ここが花街だからあるんだろう、すっぽん、ふぐ料理のお店。そりゃあ繁華街にはあってもおかしくないんだけど、この向島、都内屈指の花街になっているとはいえ、料亭は数えるほどだし、何も知らない人にとって、ここはただの住宅街にしか見えない。普通、住宅街にすっぽん、ふぐ料理のお店はない。


 路地裏にこんな味のある建物があった。表札にはお店の名前らしい「㐂代仲」と書かれている。玄関の奥には暖簾のようなものが見えるし、昼間で暖簾を閉まっているだけで、現役のお店なのかと思ったがそうでもなさそうだ。もと料亭か割烹か何かだったようだ。


 色々趣のある建物だが、この銅板の戸袋の鯉の滝登りの意匠がなんといっても存在感がある。個人のお宅なんだろうけど、非常に歴史的価値を勝手に感じてしまうのだ。



 見番通りが緩やかな上り坂になる。墨堤通りに出るからだ。その手前にある2棟続きの看板建築長屋。「いざ酔」の看板から酒場があったようだが、もうやってないですかね。


 墨堤通りに上がったところにある古民家ワインショップ&ワインバーお静。ここなんかも、こんなところにワインバーがあるのも不思議なもんだ。墨堤通りなんて向島インターに出入りする車が素気なく通り、このワインバーの前は少年野球場だし。
 ただ、昔は、この建物の隣の建物に「花街入り口」の看板があったらしい。この土地には色艶の街の血は流れているのだ。


番通り(向島)地図、アクセス

東京都墨田区向島2丁目、5丁目

番通り(向島) 情報交換

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見番通り(向島)①|今では都内屈指の花街

ホーム花街(花街の痕跡)>見番通り(向島)①
ホーム東京の通り>見番通り(向島)①


 墨田区向島。平成24年(2012)に押上に東京スカイツリーが開業し、向島というか押上一帯は人の集まる場所になった。それまで押上なんてただの下町で脚光なんて浴びることなく、そして、その押上から少し外れの場所にある向島なんてここ数十年、置き去りにされてきた地域なんじゃないのかな。
 いや、ただ押上に人は集まっているけれど、向島の放置状態は継続中かもしれない。
 ここには、昔、花街があった。最盛期には待合や料亭が100から200軒あり、芸者さんは100名を超えた。東京の花街というと神楽坂が有名だけど、神楽坂にも引けを取らない規模の花街だったようだ。それが今や、東京の花街というとと言って向島の名が出てくる人がどれほどいるんだろうか。


 見番通りには、現代の見番ともいえる向嶋墨堤組合がある。だから、この通りは見番通りと呼ばれているのだろう。
 ただ、この見番通り、花街の色艶なんてものは全く感じられず、このような素っ気なさ。言問橋のたもとからの入り口には2軒の料理屋があるが、そこから先はマンションや住宅街となってしまっている。
 入り口の2軒の料理屋は魚さい上総屋。魚さいは大正3年(1914)、上総屋は昭和9年(1934)の創業と、両店ともこの向島の老舗なのだ。スカイツリーや浅草観光で、人混みを避けるなら、ここまで足を伸ばして食事するのもいいのでは。
 それにしても、こんな不便な地に何で花街が花開いたんだろうか。
 江戸の頃より、向島は、墨堤に植えられた桜の名所として人の集まる場所だった。三囲神社のところでも書きましたが、神社脇に料理家平石なんていう鯉料理の人気店もあったり、また長命寺では、観光に来た人たちに人気の山本やという桜餅の店もあったり、とにかく風光明媚で人が集まるところだった。


  そして明治に入り料理屋が増え、花街を形成していったようだ。当時の繁華街の浅草からも近いし、桜の名所として向島も繁華街になる素養があったということなんだろう。今では全く考えられないのだけれど。


 こんな下町特有の商家か何かの成れの果てのような建物が少し残るレトロな通りという趣はあれど、花街の色艶は全く感じられない。見番通りに料亭はほぼないのだけれど、実は見番通りの路地裏にはまだまだ料亭が残っている。過去に比べれば少ないのだけど、実は向島は今でも都内屈指の料亭街なのだ。
 花街で華やかだった頃の記憶とまだまだ残る料亭を探して散策してみた。


 路地裏には、こんな木造建築も残っている。この辺りの路地裏にはいると結構このような木造建築に出くわす。ザ・下町な情景だ。このような景観がいつまで残されるのだろうか・・・。


 この木造建築の並びの中で、玄関に石垣のようなデザインがなされている家がある。今は民家のようだが、玄関を石垣デザインする?飲食店か何かだったのではないだろうか。


 プロレタリア文学の作家、佐多稲子が家族で長崎から上京後に一時期、向島に住んでいた。その旧居跡には、すみだ郷土文化資料館がある。


 また木造建築。庭木などの趣のある感じから、料亭だったのではと勝手に推察してみる。



 奥のお宅、住居下部の石垣の意匠、さっきの路地裏の木造建築と同じように、もとは住居じゃなかったんじゃないかと思わせる。


 マンションなどが立ち並び、もう繁華街の面影なんかないんだけど、でも、路地裏にポツポツと飲食店があるのは、やはり、過去に繁華街であった土地の目に見えないアイデンティティがそうさせるのか。休みの日だからか、人通りなんてほとんどない。いや、別にオフィス街でもないので、平日も人通りが多いとは思えない。


 向島七福すずめのお宿。もともと料亭か何かなのかなと思わせる趣のある建物。江戸時代のそばを再現したそば屋さん。人通りは少ないのだけど、このお店にはどこからともなく人が入っていく。


 路地裏で発見。料亭跡でしょうね。背後にスカイツリーが見えるのが洒落てる。



 なんの建物だったのかは分からないが、何だか味のある建物がそこかしこにある。やはり駅から遠いと繁華街としての生命力は削がれてしまうんだな。明治の頃は駅なんてどこにでもあるものではないし、やはり浅草に近いという立地が良かったのかな。
 こんな状況だと、古い商家をリノベしても儲からんのだろうな。




 昭和23年創業の和菓子屋、青柳正家。栗羊羹、菊最中で知られる。


 諸国珍味堂の看板。珍味堂とは、神楽坂の名店。一見さんお断り、注文販売のみ、お値段もそれなり。庶民の私には紹介してくれる人も、注文して買うなどの暇もない・・・。
 和菓子屋さんだの、あられ屋さんだの、しかも高級なお店が現れ始めて、何だか花柳会に入ってきているような感じがし始めた。


 そして、路地裏に現役の料亭、すみ多。路地裏にひっそりとある。往時は、こんな路地を芸者さんが歩いてたんだろうな。今でもたまには見れるのだろうけど。


 すみ多の隣の草木で覆われたお店久茂登は、トンカツ屋さん。そういえばさっきもトンカツ屋があったな。花街とトンカツ屋って何か関係があるのかな?


 見番通りに戻ると随分と年季を感じるモルタル商家。手焼きせんべいのいりむらというお店。



 いりむらの裏手には料亭波むら。ここも現役。なかなかの存在感の建物。


 見番通りの向嶋墨堤組合。



 向じま千穂(せんすい)。こちらも現役。



番通り(向島)地図、アクセス

東京都墨田区向島2丁目、5丁目

番通り(向島) 情報交換

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