2019年5月19日日曜日

樹王山 正覚院 光照寺|牛込城跡のお寺

ホーム寺院>樹王山 正覚院 光照寺



 慶長8年(1603)に創建され、正保2年(1645)に当地に移転してきました。
 江戸切絵図には、とても大きく記載されています。


 この地は、戦国時代、この辺りから赤坂、日比谷などを治めていた牛込氏の城「牛込城」があった場所とされています。お城といっても、天守閣があるような城ではなく、館を主体とした城であったとされています。
 館のようなお城ですので、石垣などは残っていません。



 光照寺の前の通りは、地蔵坂と呼ばれていますが、光照寺に子安地蔵があり、江戸時代は、安産にご利益があると参詣者が多かったようです。このことから、この通りは地蔵坂と呼ばれるようになったようです。
 現在は、閑静な住宅街ですが、江戸時代は賑やかだったようですし、その前は城館だったのですね。

光照寺の地図、アクセス



神楽坂観光-------寺社巡り

・鎮護山 善國寺
 江戸山毘沙門天の一つ。狛犬ならぬ、狛虎がいます。
 江戸から明治にかけては縁日で賑わい、神楽坂が繁華街となった要因の一つです。



神楽坂観光-------横丁、路地巡り
 神楽坂には、無数の路地がああり、それぞれ歴史があります。そして、それぞれの路地には、かつて芸者さんがたくさんいました。芸者さんは、京都だけではないのです。かつての花街華やかりし頃にちなんだ通りがたくさんあります。神楽坂散策のご参考にして下さい。(五十音順)

神楽小路
 神楽坂下からすぐの路地です。


神楽坂通り
 神楽坂のメインストリート。
 地元の古い商店から、おしゃれなグルメなどいろいろ楽しめる通りです。
 ここから様々な路地が分岐しています。


神楽坂仲通り
 数少ない料亭のある通りです。
 かつては、この通りも料亭が軒を連ねていたようです。

かくれんぼ横丁
 本多横丁と神楽坂仲通りを結ぶ路地です。
 その名のとおり、ひょいと路地に入ると見失ってしまうくらい細く入り組んだ路地です。
 ここでお忍びで芸者遊びをしていたのでしょう。

芸者新路
 かつては、見番、置屋、待合が軒を連ねていた通りなので芸者新路という名前です。
 しかしながら、今は一軒もありません。飲食店があるのみです。

見番横丁
 見番(芸者を手配する場所)があることから付けられた名前。
 今でも芸者を手配する東京神楽坂組合があります。
 以前は、神楽坂界隈に見番はいくつかあったのだろうと思います。

地蔵坂
 今は閑静な住宅街ですが、明治・大正期までは文化香る繁華街でした。
 その跡を追って散策してみましょう。

兵庫横丁
 神楽坂の中でも江戸情緒が楽しめる石畳の細い路地です。
 今では数少くなった料亭や、有名な作家の多く泊まった旧旅館などがあります。

紅小路
 本多横丁から分岐する路地です。
 老舗の飲食店などがあります。

本多横丁
 横丁という名前ですが、神楽坂界隈ではそれなりに大きな通りです。
 江戸時代には本多修理屋敷脇横丁と呼ばれていた古い通りです。
 この本多横丁からはいくつもの路地があります。

見返し横丁
 本多横丁から分岐する路地です。
 スナック、飲食店のある短い路地です。


見返り横丁
 本多横丁から分岐する路地です。
 今では少なくなった料亭がある短い路地です。

みちくさ横丁
 神楽小路から分岐する路地です。
 神楽坂界隈では珍しい、昭和レトロ横丁です。

0 件のコメント:

コメントを投稿

こちらからコメント、情報をお願いします。