寛永年間(1624−1645)に創建されたようですが、詳細は分かっていないようです。
この三崎坂は、上野戦争の際、新政府軍の長州藩を中心とする部隊が天王寺や寛永寺へ進軍したルートになります。迎え撃つ彰義隊は、三崎坂にある寺院に潜んでいましたから、この長久寺の山門には、弾痕の跡が残っています。この写真では見づらいでしょうが。
こんなのどかな下町で、150年前に、内戦があり、多くの人が亡くなったなんて、今では考えられません。
山門を潜ったらすぐ境内で、こぢんまりとした境内です。ここにも彰義隊が潜んでいたのでしょうか。
木造瓦屋根に、火灯窓の本堂もこぢんまりしていますが、風情のある本堂です。
江戸切絵図で見と長久寺
江戸切絵図には、現在と同じ三崎坂中腹に記載されていますが、現在は、明王院と長久寺の間に、全生庵と福相寺があります。福相寺は、江戸切絵図に書かれている福正寺でしょうか。全生庵は、明治に入り創建されたお寺ですので、江戸切絵図に書かれていなくて当然です。全生庵が創建されて、この辺りの位置関係が変わったのでしょうか。
長久寺の地図、アクセス
東京都台東区谷中5−4−11
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