2019年6月22日土曜日

橘稲荷神社|人形町のビル脇の小さなお稲荷様

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 もともと、御殿山にあった稲荷社が江戸城に移され、さらに、将軍家御典医であった岡本玄冶に下賜され、この地に移ってきました。橘というのは、岡本玄冶の姓に因んでいるそうです。





 江戸時代、新和泉町といわれたこの辺りを拝領した岡本玄冶は、貸家を建て、庶民に貸したと言われています。そのため、この辺りは、玄冶店と言われていました。今は、ビルに囲まれていますが、江戸時代は、町屋に囲まれ、庶民からの信仰を集めた神社だったのです。
 新和泉町は、下の切絵図の赤丸の場所です。嘉永三年(1850)版ですが、稲荷や玄冶店の記載はありません。岡本玄冶は、戦国時代から江戸初期の人ですので、橘稲荷はあったはずですが。その後の安政6年(1859)版には、稲荷の表記とゲンヤダナの表記があります。

日本橋北神田浜町絵図

祭神

     倉稲魂大神

稲荷神社の地図、アクセス





本橋人形町の神社

 とにかく、日本橋、人形町界隈には神社が数多くあります。しかも、江戸時代から都会でしたから、郊外にあるような大きな神社ではなく、街中に佇む、今となっては、ビルの谷間にひっそりあるような神社がたくさんあります。
 江戸時代の文化の中心地であった日本橋人形町ですから、江戸の文化、芸能、風俗と関係がある神社もあり、往時をしのばせます。
・小網神社
 日本橋七福神めぐりの「福禄寿」。
 日本橋界隈では珍しい、戦前の木造神社建築です。

・水天宮
 日本橋七福神めぐりの「弁財天」。
 安産、子宝にご利益のある神社。

・末廣神社
 日本橋七福神めぐりの「毘沙門天」。
 人形町の娼妓、芸者からも信仰の厚かった、吉原遊廓、吉原花街とともに歩んだ神社。

・椙森神社
 日本橋七福神めぐりの「恵比寿神」。
 江戸時代は富興行や花相撲が行われ、庶民に親しまれた神社です。今は、ビルに囲まれひっそりとあります。
・宝田恵比寿神社
 日本橋七福神めぐりの「恵比寿さま」。べったら漬け起源の江戸商人の町の神社。

・茶ノ木神社
 日本橋七福神めぐりの「布袋さま」。
 ビルに囲まれた小さなお社。

・松島神社
 日本橋七福神めぐりの「大国神」。
 今では、ビルの一階にありますが、もともと、ここは島でした!

・銀杏八幡宮
 銀杏が生い茂る緑豊かな八幡宮。

・出世稲荷神社/岩代稲荷神社
 江戸時代の大衆文化、風俗と密接な関係のあるお稲荷さん。どこにあるのか探すのが大変!
 江戸時代は、町家に囲まれ、庶民から信仰を集めた神社でした。今では、ビルに囲まれています。

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