日本橋、椙森神社の歴史
平安前期、承平元年(931)創建と伝えられる歴史ある神社です。平安中期に起こった平将門の乱を平定した俵藤太秀郷(藤原秀郷)が戦勝祈願し、白銀の狐像を奉納していると伝えられています。文正元年(1466)には、雨乞いに霊験があるとされ、太田道灌が京都の伏見稲荷より五社大神(倉稲魂命、素戔嗚尊、神大市比売、大巳貴大神、四大神)を勧請したとされています。
このように、江戸開幕前から信仰を集めていた神社であります。江戸時代に入ってからも、新橋の烏森神社、神田の柳森神社とともに、「森」の字のつく代表的な神社として信仰を集めました。ちなみに、椙森神社は、すぎもりではなく、すぎのもりと読みます。
また、江戸時代には信仰だけでなく、椙森神社では、富興行も盛んに行われており、境内には、富興行をしのぶ富塚があります。当時の富札も残っているようです。その他、花相撲も行われていたそうです。江戸の商人の町、文化の町、日本橋、人形町において、この椙森神社は、庶民の集まる賑やかな神社だったようです。
江戸時代の椙森神社の様子は、江戸名所図会に描かれています。当時は社名が杉森稲荷神社となっております。現在はオフィスビルに囲まれて、人通りも少ないですが、江戸時代は、周囲に商家がたくさんあり、人通りも多く賑やかな様子が描かれています。境内は、現在よりも少し広く感じます。左奥に、「白狐神」と言う祠が見えますが、藤原秀郷が奉納した白銀の白狐像が安置された祠なのでしょうか?
江戸名所図会の説明によると、杉森稲荷神社は新材木町にあり、当社があるのでこの辺りをイナリ新道と呼んでいたと書かれています。また、名所図会には、参道も描かれていますが、その昔は町屋に囲まれていて参道は無かったようです。元禄16年(1703)に本多弾正少弼忠晴が参道を整備したと書かれています。
江戸時代の寛文年間には、神道家の吉川惟足が、大巳貴大神の託宣を受け、恵比寿大神を祀りました。日本橋七福神めぐりでは、恵比寿さまであります。
現在の社殿は、昭和6年(1931)に再建された鉄筋コンクリート製の社殿です。以前の社殿は、関東大震災で焼失してしまいました。
椙森神社周辺も、日本橋ならではの昭和レトロな建築が残っており、神社散策と一緒に楽しめます。この辺りが、江戸名所図会で言うところの「イナリ新道」でしょうか?
恵比寿大神
1月1日。
・節分祭
2月節分の日。
・初午祭
3月初午の日。
・例大祭
5月15日、16日。
・大祓式
6月30日、12月31日。
・祈願祭
9月2日。くじの日にちなんで、宝くじ当選祈願が行われます。
・恵比寿祭(べったら市)
10月19日目、20日。恵比寿神像が公開されます。
・新嘗祭
11月26日。
また、江戸時代には信仰だけでなく、椙森神社では、富興行も盛んに行われており、境内には、富興行をしのぶ富塚があります。当時の富札も残っているようです。その他、花相撲も行われていたそうです。江戸の商人の町、文化の町、日本橋、人形町において、この椙森神社は、庶民の集まる賑やかな神社だったようです。
江戸時代の椙森神社の様子は、江戸名所図会に描かれています。当時は社名が杉森稲荷神社となっております。現在はオフィスビルに囲まれて、人通りも少ないですが、江戸時代は、周囲に商家がたくさんあり、人通りも多く賑やかな様子が描かれています。境内は、現在よりも少し広く感じます。左奥に、「白狐神」と言う祠が見えますが、藤原秀郷が奉納した白銀の白狐像が安置された祠なのでしょうか?
江戸名所図会の説明によると、杉森稲荷神社は新材木町にあり、当社があるのでこの辺りをイナリ新道と呼んでいたと書かれています。また、名所図会には、参道も描かれていますが、その昔は町屋に囲まれていて参道は無かったようです。元禄16年(1703)に本多弾正少弼忠晴が参道を整備したと書かれています。
江戸時代の寛文年間には、神道家の吉川惟足が、大巳貴大神の託宣を受け、恵比寿大神を祀りました。日本橋七福神めぐりでは、恵比寿さまであります。
現在の社殿は、昭和6年(1931)に再建された鉄筋コンクリート製の社殿です。以前の社殿は、関東大震災で焼失してしまいました。
椙森神社周辺も、日本橋ならではの昭和レトロな建築が残っており、神社散策と一緒に楽しめます。この辺りが、江戸名所図会で言うところの「イナリ新道」でしょうか?
ご祭神
五社大神(倉稲魂命、素戔嗚尊、神大市比売、大巳貴大神、四大神)恵比寿大神
祭礼
・元旦祭1月1日。
・節分祭
2月節分の日。
・初午祭
3月初午の日。
・例大祭
5月15日、16日。
・大祓式
6月30日、12月31日。
・祈願祭
9月2日。くじの日にちなんで、宝くじ当選祈願が行われます。
・恵比寿祭(べったら市)
10月19日目、20日。恵比寿神像が公開されます。
・新嘗祭
11月26日。
椙森神社の地図、アクセス
東京都中央区日本橋堀留町1−10−2
日本橋人形町の神社
とにかく、日本橋、人形町界隈には神社が数多くあります。しかも、江戸時代から都会でしたから、郊外にあるような大きな神社ではなく、街中に佇む、今となっては、ビルの谷間にひっそりあるような神社がたくさんあります。江戸時代の文化の中心地であった日本橋人形町ですから、江戸の文化、芸能、風俗と関係がある神社もあり、往時をしのばせます。
・小網神社
日本橋七福神めぐりの「福禄寿」。
日本橋界隈では珍しい、戦前の木造神社建築です。
・末廣神社
日本橋七福神めぐりの「毘沙門天」。
人形町の娼妓、芸者からも信仰の厚かった、吉原遊廓、吉原花街とともに歩んだ神社。
・宝田恵比寿神社
日本橋七福神めぐりの「恵比寿さま」。べったら漬け起源の江戸商人の町の神社。
・茶ノ木神社
日本橋七福神めぐりの「布袋さま」。
ビルに囲まれた小さなお社。
・水天宮
日本橋七福神めぐりの「弁財天」。
安産、子宝にご利益のある神社。
・松島神社
日本橋七福神めぐりの「大国神」。
今では、ビルの一階にありますが、もともと、ここは島でした!
・銀杏八幡宮
銀杏が生い茂る緑豊かな八幡宮。
・出世稲荷神社/岩代稲荷神社
江戸時代の大衆文化、風俗と密接な関係のあるお稲荷さん。どこにあるのか探すのが大変!
江戸時代は、町家に囲まれ、庶民から信仰を集めた神社でした。今では、ビルに囲まれています。
・橘稲荷神社
江戸時代は、町家に囲まれ、庶民から信仰を集めた神社でした。今では、ビルに囲まれています。
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