2021年12月26日日曜日

烏森神社|サラリーマンの聖地に存在する神社。参道は酒場横丁。

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 新橋駅烏森口の烏森通りにある一筋の路地。飲み屋横丁かと思いきや、烏森神社の参道なんです。サラリーマンのための飲み屋街、新橋駅のすぐ近くにある烏森神社。もちろん、神社の周囲は酒場に囲まれており、明治から昭和にかけては、烏森神社を中心とした烏森花街が形成され、芸者さんが行き来する風情のある場所でもありました。

森神社の歴史

 烏森神社のサイトによりますと、烏森神社の創建は、天慶3年(940年)だそうです。
 前年に関東で起こった平将門の乱が起こったのですが、平将門の乱を平定する前、藤原秀郷が武州のとあるお稲荷さんで戦勝祈願をしたそうです。その際、白狐が現れて、白羽の矢を藤原秀郷に与えたそうで、そのおかげで、平将門の乱をすみやかに平定できたのだそうです。
 戦勝のお礼に一社を勧請しようと考えていた藤原秀郷の夢にまたしても白狐が現れて、神鳥の集まるところが霊地だと告げたのだそうです。
 新橋近辺は、古くから桜田村と呼ばれており、江戸湾の砂浜で、一体は松林だったそうです。下の地図は、長禄年間(1457−1460)の江戸を描いた「長禄江戸図」です。長禄年間の江戸の地図だとは言え、この地図自体は、江戸時代に出版されたものなので、過去の地図の複製か、江戸時代に創造で描かれたものなのかもしれません。藤原秀郷のいた500年も後の地図ですが、桜田村が海に面していたことが分かります。


 話がそれましたが、この辺りの松林は、その当時、「枯州の森」や、「空州の森」などと呼ばれ、烏が巣を作り、烏が多かったそうです。
 藤原秀郷が桜田村の森に来た時に、烏が多くいたことから、白狐のお告げ通り、神鳥の多く集まるこの地に烏森稲荷を創建したそうです。現在では、烏はあまり良い印象はないのですが、烏は古くから神の使いとされています。


 上の地図は、寛永9年(1632)頃に発行された「武州豊嶋江戸(庄)図」です。明るくなっている場所に烏森神社があると思われます。東の海岸に、松林のような絵が絵が描かれています。枯州の森の名残でしょうか。
 下の地図は、嘉永3年(1850)の「芝口南西久保愛宕下之図」。18年後ですが、東側が大きく埋め立てられたのでしょうか。東の海岸が無くなっていますし、松林も無くなっているようです。


 創建当時は、東国の田舎の浜辺の神社だったのでしょうが、江戸時代になり、江戸城の城下の大名屋敷が立ち並ぶことになり、様相が一変したことが分かります。また、埋め立ても進み、烏森神社が浜辺の神社だったことも分かりにくくなっています。
 江戸の戦国武将であった太田道灌は、日本橋の椙森神社、神田の柳森神社と共に、森の字が入る神社として江戸三森と呼び、信仰を集めました。

み屋横丁のような参道


 烏森通りから参道の入り口の脇に、戦後のバラックのような建物がありますが、これ王将というやきとり屋さんです。昭和30年代創業のようです。ネットを見ていると閉業などと書いてあったり、でも、その後のレポートをされている人もあったり、どうなっているのかよく分かりません。不定休のようでもありますので、なかなか実態を見るのが難しいのかもしれません。
 いずれにしても、日本が戦後復興し、高度成長する真っ只中から、サラリーマンの街新橋にあり、サラリーマンと共に歩んできたお店なのです。



 味のある建物が並びます。左のお店はささ亭という焼き鳥屋さん。昭和46年(1971)創業。


 ささ亭の隣は、こちらも焼き鳥屋さんほさか。この参道は、焼き鳥屋が多いです。こちらも、昭和40年代の創業のようです。


 昭和な酒場が並ぶ、哀愁漂う参道ですが、オシャレなカフェもあります。


 烏森百薬というお店ですが、カフェと居酒屋がミックスされたお店です。昭和な横丁に新しいスタイルも入り込んできています。


 参道には、公衆トイレがあります。都内の戦後の闇市の区割りをそのまま残したような昭和な横丁には、公衆トイレがよくあります。それぞれのお店が狭いので、そうなるのでしょう。この参道も、戦後は闇市が並んでいたのでしょうか。

森神社 本殿


 酒場横丁な参道は、烏森宮脇通りというこれまた酒場横丁と突き当たり、その先に烏森神社の本殿があります。昭和46年(1971)築。ビルに囲まれた小さな本殿でありますが、江戸の頃は、武家屋敷に囲まれていたのだと思われます。


 烏森神社の歴史でも書きましたが、もともとは烏森稲荷社でお稲荷さんでした。明治6年に烏森神社に改められたのです。ですので、狛狐ではなく、狛犬があります。稲荷社であった頃は、狛狐だったのでしょう。


 鉄筋コンクリート造りではありますが、とても神聖でモダンな社殿です。


森神社のご祭神

・倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)
・天細女命(アメノウヅメノミコト)
・瓊々杵尊(ニニニギノミコト)

森神社のご利益

・必勝祈願の成就
・商売繁盛
・技芸上達
・家内安全

森神社の地図、アクセス

東京都港区新橋2−15−5

橋エリアの飲み屋街



烏森宮脇通り
新橋に花街があった中心地です。狭い路地に、新橋らしくごちゃごちゃと酒場がありますが、ある一部には、花街があったことを思わせる、風情のある通りがあります。

栄通り(新橋)
新橋日比谷口のSL広場前にあるビルとビルの隙間の路地にある通り。新橋ですから、酒場が隅々まであります。

新橋駅前ビル1号館
新橋駅汐留口前にある昭和感たっぷりのビル。昭和なオフィスビルかと思いきや、地下1階から地上2階までは居酒屋がひしめき合う飲み屋街なのだ。

新橋駅前ビル2号館
地下1階は、新橋の最深部と言っても過言ではない迷宮のようなところ。2坪程度しかないような狭小な立ち飲み屋などが軒を連ねる。

新橋烏森通り
特になんの特徴もないビル街でありますが、やはり、サラリーマンの聖地、新橋ですから、酒場がたくさんあります。路地裏にも、酒場がごちゃっとあります。

新橋ガード下
新橋のJRガード下。歴史ある煉瓦造りのアーチ型高架橋の下は、居酒屋がいっぱい。歴史ある酒場やバーなどがあったが、相次いで閉店してしまっている。

新橋仲通り会
この通りには、以前、新橋芸妓組合の建物がありました。この通りの南側は芸者さんが歩く花街だったのです。今、この通りに花街の痕跡は全くありません。サラリーマンの聖地として、酒場が軒を連ねる通りであります。

新橋西口通り
サラリーマンの聖地の新橋らしい、ゴミゴミして、小酒場が乱立する通り。

森神社 口コミ

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