2021年12月12日日曜日

烏森宮脇通り|烏森花街(新橋南地)の痕跡②サラリーマンの聖地の中でも風情のある通り

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 新橋駅の烏森口を出て、西に歩けば烏森神社があるわけですが、巨大な飲み屋街である新橋でありますから、烏森神社の境内の周囲も酒場に囲まれているのです。中でも、境内入口を横切る通りは、烏森宮脇通りという風情のある名前がついており、狭い路地に酒場が軒を連ねています。新橋駅の西側は、本当にどこに行っても、その路地を入っても飲み屋街なのです。

森宮脇通り、烏森花街の歴史

 烏森神社の周辺の路地を歩くと、なんだか艶っぽい感じがするのですが、それもそのはず、昭和40年代までは花街でありました。烏森宮脇通りは、芸者さんが歩く風情のある路地だったのです。もう今は、芸者さんはいないのですが、どことなく、花街の艶が残っているのです。
 烏森花街は、新橋南地ともいわれていました。新橋にあるのに新橋南地を呼ばれ、現在の銀座にある花街が、新橋と呼ばれていました。何だか不可思議ですが、下の切り絵図を見れば分かります。
 上の方の切り絵図は、嘉永2年(1849)版の「築地 八丁堀 日本橋之図」の切り抜き。現在の銀座8丁目あたりを切り抜いています。南に新橋という橋があります。これが新橋の現在の地名の由来です。下の方の切り絵図は、嘉永3年(1850)版の「芝口南 西久保 愛宕下之図」の切り抜き。現在の新橋あたりを切り抜いています。この切り絵図には、北に芝口橋という橋があります。
 実は、この新橋も芝口橋も同じ場所にあった橋です。宝永7年(1710)に新橋の北詰に芝口御門が建造されたため、新橋は、芝口橋と改称されたのです。ですが、享保9年(1724)、芝口御門は焼失してしまい再建もされなかったため、また新橋と名前が戻されたのです。と、芝口御門の跡地に書いてあります。そうすると、「築地 八丁堀 日本橋之図」も「芝口南 西久保 愛宕下之図」も名称が新橋に戻った後に発行されたことになるのですが、「芝口南 西久保 愛宕下之図」には、芝口橋のままの記載になっているのがまた不可思議なのですが、橋の話が終わらなくなってしまうので、何かの間違いということにしておきましょう。
 話を戻して、新橋花街と、新橋南地、切り絵図を見ると、現在の銀座側にある新橋花街は、「築地 八丁堀 日本橋之図」の明るくしている場所にあります。新橋を渡ってすぐにあります。それに対して、烏森花街(新橋南地)は、新橋を渡って南にあります。
 そもそも現在の銀座側に芸者置屋や料亭があったのですが、明治に新橋の芸者置屋から分かれたのが、この烏森花街(新橋南地)なのです。

築地 八丁堀 日本橋南之図

芝口南 西久保 愛宕下之図

 こうして「芝口南 西久保 愛宕下之図」を見ると、烏森宮脇通りは、江戸時代、武家屋敷だったことが分かります。一方で、「近代東京における花街の成立」(西村亮彦ら・景観デザイン講演集No.4)によりますと、「江戸時代の社寺門前は遊興色が強く、〜新橋南地〜では、社寺門前などに、非公許の遊女屋の集まる岡場所が形成され」と記されています。
 「近代東京における花街の成立」でいう新橋南地とは、烏森花街が存在した烏森宮脇通りのあたりとは違うのでしょう。江戸時代の社寺の前に岡場所が存在したのはよく分かりますし、烏森神社の周囲に丘場所があっても不思議では無いですが、いくらなんでも、武家屋敷に囲まれた一帯に岡場所は無かったのではないでしょうか。そう考えると、新橋の南側が大きく新橋南地と呼ばれて、この辺りのどこかに岡場所があったのでしょうか。
 新橋南地の岡場所の遊女が芸妓に変わっていったというよりも、明治期に新橋の芸者が新橋南地に移ってきたということなのだろうと思います。
 大正期には、お店、芸者数とも多くなったようですが、戦後、衰退してしまったようです。

森宮脇通り散策



 烏森神社のすぐ隣にある「鮨処 順」は、昭和35年創業。烏森花街の衰退が始まった頃の創業ということになります。



 烏森神社付近は、風情もありますが、少し西に行くと、ごちゃごちゃとして新橋の飲み屋街の感覚満載になります。


 2015年に放送されたアド街ック天国「新橋 烏森口」で1位のお店の一つ、「鉄火場」。



 レトロな建築も少し残っています。




 奥にある「古今亭」は、明治27年創業の鳥割烹。花街華やかりし頃から、あったのです。以前は、とても広い敷地であったようです。武家屋敷の敷地をそのまま料亭にしたのかもしれません。今では、うらぶれた感のある通りですが、その昔は、こんなうらぶれ感はなかったのかもしれません。


 昭和33年創業のお茶漬け専門店「鹿火矢」。しかしながら、このお店、新型コロナにやられてしまったのか、2021年11月頃、休業したまま。

森宮脇通りの北に平行する路地

 烏森宮通りは、烏森神社境内前を横切る通りだけがそう呼ばれているようですが、烏森宮通りに南北に平行している路地も、酒場が集積する路地ですし、以前は烏森花街の一部であったと思われますので、まず、北の路地を散策してみます。





 「梅美津」は、予約必須、しかも一見さんお断りのお店だそうです。


 「鳥料理 びん」。カウンターだけの小さなお店。

森宮脇通りの南に平行する路地

 北側は、どちらかというと、場末の飲み屋街的な感じの通りでした。そもそも烏森宮脇通り自体、先ほど艶っぽいと書きましたが、烏森神社の脇くらいかなという感じです。
 この辺りで、南に平行している路地が、一番雰囲気の良い通りかもしれません。




 この辺りから、建物に風情が出てきます。これらの建物が古い建物なのかなんなのか分かりませんが、日本家屋風の建物が情緒を誘います。上に見える「日吉寿司」は、1958年の火災保険特殊地図に載っていますので、古くからあるお寿司屋さんのようです。



 「長屋」の店内は、日本家屋そのものといった感じです。芸者さんを呼べた料理屋だった建物なのでしょうか。




 この辺りを、昔は芸者さんが歩いていたのでしょうか。烏森宮脇通り周辺で、この通りが一番艶っぽさを残していて、芸者さんが歩いていたことを想像できる通りであります。



 突き当たりは、烏森神社の参道になります。
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森宮脇通りの地図、アクセス

東京都港区新橋2丁目9、15

橋エリアの飲み屋街


烏森神社(参道)
サラリーマンの聖地の飲み屋街の中心地に鎮座する烏森神社の参道は、サラリーマンの聖地にふさわしく、参道にも酒場が立ち並んでいて、昭和の横丁といった雰囲気です。

烏森宮脇通り
新橋に花街があった中心地です。狭い路地に、新橋らしくごちゃごちゃと酒場がありますが、ある一部には、花街があったことを思わせる、風情のある通りがあります。

栄通り(新橋)
新橋日比谷口のSL広場前にあるビルとビルの隙間の路地にある通り。新橋ですから、酒場が隅々まであります。

新橋駅前ビル1号館
新橋駅汐留口前にある昭和感たっぷりのビル。昭和なオフィスビルかと思いきや、地下1階から地上2階までは居酒屋がひしめき合う飲み屋街なのだ。

新橋駅前ビル2号館
地下1階は、新橋の最深部と言っても過言ではない迷宮のようなところ。2坪程度しかないような狭小な立ち飲み屋などが軒を連ねる。

新橋ガード下
新橋のJRガード下。歴史ある煉瓦造りのアーチ型高架橋の下は、居酒屋がいっぱい。歴史ある酒場やバーなどがあったが、相次いで閉店してしまっている。

新橋仲通り会
この通りには、以前、新橋芸妓組合の建物がありました。この通りの南側は芸者さんが歩く花街だったのです。今、この通りに花街の痕跡は全くありません。サラリーマンの聖地として、酒場が軒を連ねる通りであります。

新橋西口通り
サラリーマンの聖地の新橋らしい、ゴミゴミして、小酒場が乱立する通り。

森通り 口コミ

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