社殿は、中央区の有形文化財に指定されており、木造総檜造りの社殿は、ビルに囲まれ小ぢんまりとしていながらも見応えがあります。向拝には、昇り竜、降り龍、獅子、ばく、鳳凰等の彫刻が施されています。
また、小網神社で、独特なのは、こ狭い境内の本殿のすぐ横に隙間なく神楽殿が配置されています。ですので、神楽殿は、道路際に配置されており、お神楽などは、道路から見るのでしょうか。とても不思議な配置です。
また、この神楽殿は、五角形で建築されており、とても珍しい形態をしています。これも、この狭い土地に配置するための苦難の技だったのでしょうか。何れにしても、箱庭的、ミニチュア的配置、建築ではありますが、社殿にしろ、神楽殿にしろ、木造であり伝統的な神社建築の形式を備えているのです。
東京にはビルの谷間の神社は珍しくありませんが、小網神社のビルの谷間の狭小地に神社建築の伝統が凝縮されているところが良いからでしょうか、海外の観光の方も多く足を運ばれています。
小網神社の歴史
小網神社の起源は古く、室町時代中期に遡るようです。文正元年(1466)に、小網山万福寺を別当寺として、当地に祀られた稲荷社が起源のようです。室町時代弘毅の武将、太田道灌氏からの崇敬篤く、土地の寄進や、小網山稲荷院と命名したのも、太田道灌氏と謂れています。この地域の地名の小網町は、小網神社から取られています。
日本橋北神田浜町絵図には、小網町という町名があります。そして、二丁目に「稲荷」として記載があります。これが、小網神社でしょう。
周辺には、日本橋ならではの昭和レトロな建築もあり、小網神社参拝のついでに、付近を散策してみるのも面白いです。
御祭神
倉稲魂神(お稲荷大神)
市杵島比賣神(弁財天)
福禄寿
ご利益
・強運厄除け
戦争の賛否の議論は置いておいて、第二次大戦の際、戦地に赴く氏子の出征奉告祭に参列した兵士は、全員生還したとのことです。また、東京大空襲においても、戦災を免れていますし。
・金運
日本橋七福神めぐりの弁財天の神社です。東京銭洗弁天と呼ばれているように、銭洗いの井がありますし、金運守もあります。
・健康、福徳、長寿
小網神社は、日本橋七福神めぐりの福禄寿でもありますので、様々な徳を授かれます。
祭礼
・歳旦祭
1月1日。
・東京下町八福神参り、日本橋七福神詣
1月1日〜7日。
・節分祭
2月3日。参拝者は、福豆をいただけます。
・初午祭
3月午の日。参拝者は、福箸をいただけます。
・例大祭
5月28日。5年に一度、神輿渡御があります。
・夏越しの大祓
6月30日。茅の輪くぐり。
・万福舟乗弁財天大祭
10月28日。
・どぶろく祭(新嘗祭)
11月28日。参拝者には、どぶろくが振る舞われます。
・年越しの大祓、除夜祭
12月31日。
小網神社の地図、アクセス
東京都中央区日本橋小網町16−23
日本橋人形町の神社
とにかく、日本橋、人形町界隈には神社が数多くあります。しかも、江戸時代から都会でしたから、郊外にあるような大きな神社ではなく、街中に佇む、今となっては、ビルの谷間にひっそりあるような神社がたくさんあります。江戸時代の文化の中心地であった日本橋人形町ですから、江戸の文化、芸能、風俗と関係がある神社もあり、往時をしのばせます。
・末廣神社
日本橋七福神めぐりの「毘沙門天」。
人形町の娼妓、芸者からも信仰の厚かった、吉原遊廓、吉原花街とともに歩んだ神社。
・椙森神社
日本橋七福神めぐりの「恵比寿神」。
江戸時代は富興行や花相撲が行われ、庶民に親しまれた神社です。今は、ビルに囲まれひっそりとあります。
・宝田恵比寿神社
日本橋七福神めぐりの「恵比寿さま」。べったら漬け起源の江戸商人の町の神社。
・茶ノ木神社
日本橋七福神めぐりの「布袋さま」。
ビルに囲まれた小さなお社。
・松島神社
日本橋七福神めぐりの「大国神」。
今では、ビルの一階にありますが、もともと、ここは島でした!
・銀杏八幡宮
銀杏が生い茂る緑豊かな八幡宮。
・橘稲荷神社
江戸時代は、町家に囲まれ、庶民から信仰を集めた神社でした。今では、ビルに囲まれています。
・水天宮
日本橋七福神めぐりの「弁財天」。
安産、子宝にご利益のある神社。
・出世稲荷神社/岩代稲荷神社
江戸時代の大衆文化、風俗と密接な関係のあるお稲荷さん。どこにあるのか探すのが大変!
江戸時代は、町家に囲まれ、庶民から信仰を集めた神社でした。今では、ビルに囲まれています。
・橘稲荷神社
江戸時代は、町家に囲まれ、庶民から信仰を集めた神社でした。今では、ビルに囲まれています。
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