2019年6月9日日曜日

末廣神社|中央区日本橋人形町の遊郭、花街とともに歩んだ神社

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 日本橋人形町の路地のビルに囲まれ、ひっそりと佇む神社です。
 慶長元年(1596)頃から記録があるようですので、江戸幕府開府前からこの辺りにあったようです。当時は、地主神、産土神として、平たく言いますと、この土地の神、この土地の人達を守る神として信仰されていたようです。




 元和3年(1617)に、この地に吉原遊郭(元吉原)が設置されてから、明暦3年(1657)に吉原遊郭が浅草に移転するまで、この地域の総鎮守社として信仰を集めました。吉原遊郭が移転してからは、跡地の難波町、住吉町、高砂町、新和泉町の氏神として信仰されました。
神道に関しては不勉強で申し訳ございませんが、いずれの時代も、この地域を守るための神社であったということでしょう。
 遊郭が移転してから、この辺りは花街として栄えました。その名残は、人形町を歩いていると料亭跡を思わせる建築等で見ることができますが、末廣神社の玉垣に「芳町藝妓藝妓屋組合」と刻まれていますが、ここにも花街の名残があります。


 末廣神社という社号の起源は、延宝3年(1675)に社殿を修復した際に中啓(扇)が発見されてことから末廣という社号にしたようです。


 昭和25年頃から日本橋界隈で始まった日本橋七福神めぐりでは、「毘沙門天」の神社としてコースに含まれております。




祭神

 宇賀之美多摩命
 武甕槌命

利益

 勝運災難除け

廣神社の地図、アクセス






本橋人形町の神社

 とにかく、日本橋、人形町界隈には神社が数多くあります。しかも、江戸時代から都会でしたから、郊外にあるような大きな神社ではなく、街中に佇む、今となっては、ビルの谷間にひっそりあるような神社がたくさんあります。
 江戸時代の文化の中心地であった日本橋人形町ですから、江戸の文化、芸能、風俗と関係がある神社もあり、往時をしのばせます。
・小網神社
 日本橋七福神めぐりの「福禄寿」。
 日本橋界隈では珍しい、戦前の木造神社建築です。
・水天宮
 日本橋七福神めぐりの「弁財天」。
 安産、子宝にご利益のある神社。

・椙森神社
 日本橋七福神めぐりの「恵比寿神」。
 江戸時代は富興行や花相撲が行われ、庶民に親しまれた神社です。今は、ビルに囲まれひっそりとあります。
・茶ノ木神社
 日本橋七福神めぐりの「布袋さま」。
 ビルに囲まれた小さなお社。

・松島神社
 日本橋七福神めぐりの「大国神」。
 今では、ビルの一階にありますが、もともと、ここは島でした!

・銀杏八幡宮
 銀杏が生い茂る緑豊かな八幡宮。

・出世稲荷神社/岩代稲荷神社
 江戸時代の大衆文化、風俗と密接な関係のあるお稲荷さん。どこにあるのか探すのが大変!

・橘稲荷神社
 江戸時代は、町家に囲まれ、庶民から信仰を集めた神社でした。今では、ビルに囲まれています。

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