2023年9月30日土曜日

菊水通り商店街振興会|西浅草の路地裏、昭和レトロと下町グルメ

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 浅草というのは、江戸時だから続く歴史ある繁華街。それが、ここほんのちょっと、戦後少しの間、昭和末期には繁華街としての地位が失墜して衰退の一途を辿っていた訳でありますが、ここにきて、大復活を遂げ、今では海外からの観光客も多く訪れる街になっています。
 とはいえ、人が多く集まるのは浅草寺を中心とした浅草中心部。今回訪れたのは、浅草の西部、西浅草にある菊水通り。国際通りから西側になるわけですが、浅草中心部の喧騒が嘘のように、人通りが少なく、静まり返っている。そんな路地裏のような通りに菊水通りという立派な看板が立った通りがある。
 浅草中心部が、浅草寺を中心に成り立っているのであれば、西浅草は東本願寺という巨大寺院がある。この菊水通りは、まさに東本願寺の背後を通る通りなのである。だから何だと言われると、何でもない。浅草寺のように東本願寺に観光に来る人は少ないだろう。なぜだろう。巨大だけど地味だからだろうな・・・
 こんな静まり返った西浅草の路地裏、菊水通りなんだけど、かつては居酒屋や飲食店が多くある繁華街だったんではないかと。そもそも菊水通りという名前は、この通りにあった菊水道場というもつ焼き屋の名前が由来らしいのだ。そんな大衆酒場が、この通りには多くあったらしいのだ。
 そして、歴史ある繁華街として、浅草には、数々の老舗、名店が残っているが、この西浅草の路地裏にも、昭和レトロな建物や、名店が残っている。お店の発見とともに、その歴史を調べてみると、多くの作家や、往年の俳優などの文化人の名前がでてくる。池波正太郎、坂口安吾、渥美清・・・。今ではやや寂れて路地裏のようになってしまっているが、過去にはこんなところまで文化人が足を運んだ、花の東京の中心地だったんだな。
 浅草中心部の賑わいもいいですが、この渋い、衰退の中に過去の文化の中心であった浅草の賑わいを見出せる西浅草の路地裏、菊水通りも散策してみては?

りの地図、アクセス

東京都台東区西浅草1丁目、2丁目






  国際通りから菊水通りに入ってすぐ、大正6年(1917)創業のそば屋つるやがある。大正創業だなんて、浅草の歴史、この菊水通りの歴史を感じる。


 土日は、お昼過ぎからやっている居酒屋、たぬき。散策中に、一杯できますな。


 昭和25年(1950)築の台東旅館。風格がすごい。こういうところに泊まってみたいもんだ。味気ないホテルに泊まるよりもいいんじゃないかな。


 昭和12年(1937)創業のお好み焼き屋、染太郎。緑に覆われた風格が、先ほどの台東旅館に劣らず、すごい。この歴史ある染太郎は、かつて数々の作家や芸能人に愛されてきたんだ。開高健、坂口安吾、野坂昭如、渥美清、勝新太郎など。娯楽、文化の中心地であった浅草だから、このような人たちが集まったんだろうな。
 ただ、私が訪れた時、染太郎は臨時休業中だった。閉業にならなければいいんだけど。
 菊水通り、ちょっと歩いただけで、その近代の歴史に触れることができ、過去の賑わいも想像できる。浅草の中心部は、かつての賑わいを取り戻しているんだろうと思えるくらい賑わっているから、この西浅草の路地裏も、徐々に人が来るようになるんではないだろうか。


 この建物の隣には、かつて松楽というもつ焼き屋があったが、今は、イタリア料理店になっている。右隣の看板建築も、かつては居酒屋だったのかと思わぶりな門構えですね。
 そして、このビルの向かいに、この通りの名前の由来になった菊水道場があったのだ。いつからあったのか調べても分からないし、そもそも菊水道場があったのも1970年代頃までのことのようである。



 居酒屋なのか、スナックなのか、バーなのか、そんなお店の看板が連なるビルもある。やっぱり、飲み屋街だったんだろうなと思わせる。


 ビルとビルの隙間に和スイーツのお店があった。


 ここにも、和スイーツ、甘味処。


 手塚酒店。浅草無双って何なのかと思って調べたら、この手塚酒店が兵庫の酒蔵に造ってもらっているらしい。


 この向こうは、かっぱ橋道具街。あっちは、今度行ってみるとして、今日は、菊水通り周辺をくまなく散策する!


 昭和レトロな看板建築がいたるところに残っている。大喜カメラなんて、町のカメラ屋さんっていうか、写真を現像していたお店なんだろうな。カメラがデジタルになる前は、どこにでもあったんだけどな。



 こんな路地裏にも、スナック&バー。


 バーというか、昼間は、喫茶店で、ジャズの流れるお店らしい。こんな路地裏にジャズバーがあるなんて、西浅草、奥が深い。



 ここにもスナック、向こうには天ぷら屋。


 今日は、この町中華十八番でお昼食べたかったんだけど、お休みだった。その隣に餃子会館というお店があったので、そちらでお昼を。



 そのお店の前のビルの壁に鳥居マークが。いわゆる立ち小便しないでマーク。私は田舎育ちなので、鳥居マーク実物ではなく、その頃の昭和のマンガなどでしか見たことなかったが、そうは言っても、東京でもあまり見かけない。見かけたのは、山谷くらいだろうか。(寶珠稲荷神社|山谷ドヤ街のまっただ中にあるお稲荷さん)巨大な飲み屋街の新宿、渋谷、新橋などで、鳥居マークなんて見たことない。
 そういう大都会と、過去の下町とではトイレ事情も変わってきているということでしょうかね。それにしても、この西浅草の路地裏に鳥居マークが現存するということは、やはり、ここが飲み屋街?なのか、飲屋街であったと?ということの、ある種証明のような気がします。


 江戸指物の表札が出ている看板建築。かなりシブい建物だ。金釘を使わず、木と木を嵌め込んで作る伝統工芸品、下町ならではだけど、今もやられているのだろうか。



 路地裏には、激シブな建物が多く残っている。



 看板建築もポツポツ残っている。この裏通りも、かつては商店がいっぱいあったのかな?


 犬印鞄製作所の工房があった。犬印鞄製作所は、昭和28年創業の帆布鞄のメーカー。下町の職人さんが作ってる。こんな下町の職人さん達の技術を大切にしたいものですね。


 基本的には土日祝日のみ営業している、点心の店なのか、居酒屋なのか点心爛漫というお店。ここも行ってみたかったけど、お昼が餃子だったし、また今度にしよう。


 菱形の意匠が何だかシブい看板建築。


 今日の目的の一つは、この西浅草黒猫亭。名探偵、金田一耕助シリーズの生みの親、横溝正史の世界感を昭和レトロな店内で表現したカフェ。着物を着こんで、一切笑顔を見せない店主がまたいい雰囲気を醸している。


 横溝正史のファンにとっては聖地となっているようだけど、この昭和レトロな雰囲気は、散策に来た人はぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。お酒も少し置いてあります。





 この建物は、何だったんだろう。とても重厚感のある建物だ。


 何か古い建物の全面だけ化粧し直してオシャレにしたようなイタリアンレストラン。しかしながら、閉業してるっぽい。


 歴史と風格を感じる鎌寿司。この寿司屋は、池波正太郎の「散歩のとき何か食べたくなって」というエッセイに「鎌鮨」という名前で書きとめられている。池波正太郎によると、鎌鮨は戦前、浅草広小路にあったけれど、戦後はなくなっていたと。この本が書かれた時期のことを考えると、戦後20年以上たって、本願寺の近くにお店を出していることを知ったことが書かれている。ただ、いつか訪れたいということだけ書かれている。
 戦前は、その鎌鮨によく行っていたそうで、作家ゆかりの寿司屋と言える。



 古びた商店建築が連なる路地裏にあるもつ政。酒場放浪記で吉田類さんが訪れたお店。今度行ってみたいものだ。


水通り 口コミ

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