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2023年10月5日木曜日

線路脇のやきとり神ちゃん

ホームローカル酒場>やきとり神ちゃん


 埼京線、十条駅。その東に大衆劇場のある細い路地のレトロな商店街、十条中央商店街がある。大衆劇場なんていうのは、昔はいろんなところにあったんだろうけど、それこそ、映画館だっていたるところにあったんだろうけど、娯楽の変化につれて少なくなって久しい。
 でも、そんな文化が十条にはまだ残っているんだ。昭和レトロが生きている。
 昭和生まれのわたしは、昭和といっても後半だけど、昭和レトロな街並みを歩くと、不自由なこともあったけど何か温かい、母胎に帰ったような落ち着きを感じる。
 その十条中央商店街から、埼京線の線路脇の路地に入ると、やきとり神ちゃんがある。わたしは、疲れた時は、十条中央商店街の温もりの中を歩いて、そして、賑わいを逃れて線路沿いの神ちゃんにくる。
 カウンターだけの小さな居酒屋。お客さんはいても2、3人。ゆっくり飲めるんですよ。


 焼き鳥焦げてる?関係ない。ご高齢のマスターが一生懸命やられてるんですよ。わたしは、グルメでうんちくを垂れるために居酒屋にきてるのではない。安らぎと温もりを求めて酒を飲みに来てるんですよ。
 先客におじさん1人。あっ、わたしもおじさん。だけど、ひとまわり上かな。
 わたしは、神ちゃんでは注文の時以外、言葉を発したことがなかったのだけど、珍しく、そのお客さんが話しかけてくれた。
「お客さん、よく来られるんですか?」
「いえ、月に1、2回くらいで、」
 話しかけてくれてありがとうございます。わたし、人見知りで、話したくても自分から話せないんです・・人見知りなわたしは、つねづねマスターとも話してみたかったのだけど話せなくて、でも、やっと、この会話から、マスターとも話すことができた。
 あっ、十条界隈では、居酒屋の大将はマスターと呼ぶんだ。このあたりの酒場だけのローカル文化。


 もう、このお店は28年になるらしい。あれ、28年というと、創業は平成の初期か。お店の感じから勝手に昭和からやってると思ってました。まぁ、ブランドじゃあるまいし、そんなことどうでもいいし、28年なんて大変な年月だもの。この間に開業当時の借金も返し終えたと。
「28年も、お一人で続けられてすごいですね。」
「酒飲みながらやってるからさ・・」
 強面だけど、語尾を最後まで言わないマスターのシャイさが伝わってくる。マスターにしかわからない、いろんな気持ちが含まれているんだろうな。


 マスターは、50歳で一念発起して神ちゃんを開いたんだそうだ。
 壁一面に貼られた写真を見ると、たいそう繁盛していたことがわかる。けど、この長い年月の間に常連さんが、ポツポツと来なくなったそう。今のメニューは、もつ系のメニューが中心だけど、当初は魚貝も扱っていて、メニューが充実していたんだそうだ。マスターも歳をとり、大変なのでメニューも少なくしていったそう。
 壁一面の写真とマスターの話。一人のマスターと一つのお店の28年という長い歴史、このお店の生きた個性を感じて、ほっこりした。
 だけど・・・ちょうどキリのいい80歳でやめようと思ってると。えっ⁈あと2年ですか⁈
 2年後に埼京線が高架化されるんだそうで、建物自体が無くなってしまうらしい。うわぁ、28年の歴史と、壁一面の写真が・・・


「僕は、ここのレバーが好きなんです。今日はなくて残念でした。」
「明日は入るよ。明日おいで。」
 マスター、ごめん、明日は休肝日なんだ・・・また来ます。

きとり神ちゃんの地図、アクセス

東京都北区上十条1−13−2

2023年3月21日火曜日

貴運山 善光寺|十条の商店街にある昭和創建のお寺

 ホーム寺院>貴運山 善光寺



 北区十条仲通り商店街の中程にあるお寺。昭和17年(1942)に善光寺教会として設立された比較的新しいお寺。昭和30年(1955)に善光寺と改称された。狭い境内で、特筆すべきものは無いかな。



光寺の地図、アクセス

東京都北区上十条3−26−3

光寺 情報交換

善光寺について、勝手な感想を書いてしまっています。皆様の訪れた感想、また足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。

十条仲通り商店街|十条銀座の西の先のちょっとおしゃれな昭和レトロ商店街

 ホーム東京の商店街>十条仲通り商店街


 東京三大銀座の一つに数えられる十条銀座商店街。下町の風情を残しつつ活気のある商店街。その十条銀座商店街の枝通りの一つ西通りと接続するのが十条仲通り商店街。
 十条銀座は、下町商店街と言われるけれどもアーケードがかかっていて少し洗練された感じがするけれども、十条仲通裏商店街からはアーケードが無くなり、さらに下町風情が強くなる。


 十条銀座はチェーン店の進出も多く見られるけれども、十条中通りにはほぼない。もしかしてチェーン店は、もつ焼きの加賀屋くらいではなかろうか。加賀屋とてチェーン店とはいえ、下町に溶け込む庶民酒場。
 加賀屋の向かいには、江戸前 寿し かわなみ。れっきとした庶民寿司。
 かわなみの手前には、おつなあられ桃やの看板。あられ屋さんの歴史を感じさせない劇画タッチのフォント。そして電話番号が3桁というところに、この看板の時代を感じるのだけど、実はもうあられ屋さんは廃業していて、カフェが入っている。なんの意味もないのかもしれないが、古い看板が残っているっていうのは、その地の歴史を物語っている感じで好感が持てるなぁ。


 十条仲通り商店街のサイトによれば、昭和の初期から人口の増加に伴い商店が形成され、昭和25年(1950)に、商店会が結成されたんだそうだ。歩いていると、その当時の建物なのかと思えるような看板建築がポツポツと残っていて趣がある。



 看板建築にポップなタイルが嵌め込まれている化粧品店、すずらん堂。いつからこんなスタイルの看板建築なんだろうか。おしゃれだ。



 ここにもカフェが。十条珈琲。レトロな看板建築に入っています。昭和レトロな下町商店街に親和性の高いカフェ。


 十条珈琲の隣は、おにぎり専門店の蒲田屋。ザ・下町なおにぎり屋さんは、テレビなどでも紹介されていて多い時には3,000個のおにぎりが売れるんだとか。





 商店街の中程にある善光寺。比較的新しいお寺で、昭和17年(1942)の設立。





 十条は、ゆるやかに古着の街で、数軒、ほんと数軒古着屋があるんだけど、それぞれがこだわりをもってやってる感じ。なんで十条にこんなこだわった古着屋があるのかよくはわからないんだけど、このPEGもただ古着を集めているお店ではなく、ミリタリーものや、バウアーのコートなど、かなりこだわったいいものを置いてある。
 十条は学生街だと言われることもあるんだけど、帝京大学、東京家政大学、資生堂美容技術専門。資生堂の専門があることが、この町をおしゃれにしているのだろうか。





 都道455号、本郷赤羽線に合流して十条仲通り商店街は終わり。


条仲通り商店街の地図、アクセス

東京都北区十条仲原1丁目、上十条2丁目、3丁目

条仲通り商店街 情報交換

十条仲通り商店街について、勝手な感想を書いてしまっています。皆様の訪れた感想、また足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。

2023年3月18日土曜日

十条富士見銀座商店街|十条駅前の闇市を起源とする下町商店街

 ホーム東京の商店街>十条富士見銀座商店街


 十条銀座商店街の本通りを北上していくと、その先はザ・昭和な下町情緒溢れる商店街、十条富士見商店街が続きます。この商店街のアーチの富士見商店街のフォントが昭和感漂います。
 商店街の入り口には、大きな味噌専門店。スーパーの味噌の売り場面積なんて、数ある棚のほんの一部だけど、味噌だけでお店が成り立っている。これぞ日本の商店街!


 十条富士見商店街のサイトによると、この商店街の成り立ちは戦後の闇市を由来にするんだそう。戦後、十条駅西口にヨシヅ張りの飲食店が軒を連ね、いわゆる闇市が形成された。
 十条駅の闇市がどうだったのか知りませんが、闇市の露店は、暴力団やテキ屋に仕切られていていることが多く、そもそも闇物資などが販売されていたので社会秩序的な問題があった。また、露店の飲食店は衛生面も問題になり、G H Qから撤去命令が出された。そのため、十条駅前の闇市も撤去、移転することに。十条富士見商店街のサイトにると、この闇市は飲食街と表現されているので、物資販売の露店というより、飲食の露店だったんでしょう。
 昭和25年(1950)に十条仲原商店街として発足したとありますので、そこからこの商店街の歴史が始まったことになります。闇市の飲食街が移転したんだとすると、当初は飲食店が多かったんですかね。
 昭和33年(1958)に十条富士見銀座商店街に改称して現在にいたるんだそう。


 南側は、人通りも多く活気がある。飲食店が多いかといえば、そうでもなく、現在は生活商店街といった感じ。



 アド街で過去に十条銀座の特集で1位になった鳥富士。富士見銀座は十条銀座から北上する通りに接続はしてますが、厳密には十条銀座ではないにも関わらず、鳥富士が十条銀座の特集で1位に選ばれたのはなんでだろうとか、そんなことはどうでもいい。人気の惣菜店なんです。
 その奥に和菓子屋の泉屋という看板がありますが、このお店は残念ながら閉業してしまっている。


 商店街が設立され当時のものと思われる立派な看板建築も少なからず残っている。



 側道の看板建築。中華味楽の看板が出ているが、どうやら中華はもう閉業しているようで、建物には酒場が入っている。




 狭小店舗、つくだに岡田。奥行きも高さすらもミニマム。でも、ここもテレビなどでたまに紹介されている。


 シャッターが降りてしまっている味のある商店長屋。


 看板建築が並ぶ。なぜか、私は、この十条界隈の商店街、高円寺界隈の商店街とダブってしまう。なんでだろう。狭い道、カラー舗装、坂道、何かどことなく品がある。そうなんだよな。何か品を感じる。なんでだろう。狭い道の商店街なんて数多あるんだけど、なんとなく生活感を感じるようなお店が少ないような気がする。だからなのかな。



 ここは行ってみたかったのですが、閉まっていました。中華の玉屋。昭和32年(1957)の創業。この立派な年季の入った建築は、創業当時のものだろうか。



 十条銀座も北のハズレに差し掛かったところに町の洋食屋さん吉良亭。ここもアド街で出てましたね。




条富士見銀座商店街の地図、アクセス

東京都北区十条仲原1丁目

条富士見銀座商店街 情報交換

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2023年3月12日日曜日

十条銀座商店街⑤フジサンロード|行列の下町惣菜店がある通り

 ホーム東京の商店街>十条銀座商店街⑤フジサンロード


 十条銀座商店街の本通から東に枝分かれする通りに東通りがありましが、もう一つの通りがフジサンロード。
  フジサンロード、富士山であり、富士山Sunなんだろうか。どうしてフジサンロードなのか。多分、少し東の東十条よりに十条富士神社があるので、それと関係があるのだろう。が、しかしながら不思議なのは、GoogleMap上ではこのフジサンロード、十条富士神社に到達することなく、途中から十条の住宅街の細い路地をうねうねする道になっているのだ。
 十条富士神社は、昔からお富士さんとして地元では親しまれていて、フジサンロードも昔はお富士さん通りと呼ばれていたらしい。それが、昭和62年(1987)にフジサンロードに改称されたんだそう。


 フジサンロードにある鳥大はたびたびテレビなどでも紹介されていて、この日もこんな行列!焼き鳥、コロッケなど惣菜天国!1個10円のチキンボールが、1日1万個売れるんだとか。




条銀座商店街(フジサンロード)の地図、アクセス

東京都北区十条仲原1丁目

条銀座商店街(フジサンロード) 情報交換

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