2019年11月10日日曜日

鮫洲商店街|旧東海道⑤場末感漂う旧街道

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 このアーチは、鮫洲商店街の南側の出入り口になる場所にあるアーチです。
 旧東海道の品川宿も、現在の青物横丁商店街あたりまでですから、この鮫洲商店街あたりは、江戸時代では、品川宿から外れた郊外になります。旧東海道の東側は、江戸湾が広がっており、この鮫洲あたりは、漁業を生業とする人々が暮らしており、猟師町と言われていました。漁師なのですが、江戸時代は、猟師と言ったそうです。 
 現在でも、ここまで来ると場末感が増して来ます。上の南側の鮫洲商店街のアーチ一つ取っても、質素であり、しかもサビサビで、場末感を増長させます。しかも、なぜ、ローマ字?本当に、ここから商店街があるんですか?と疑いたくなるようなアーチです。
 これに対して、北側の入り口は、以北の旧東海道品川宿で統一されている柱が立っております。


 旧東海道は、北の北品川本通り商店街から、この鮫洲商店街まで、それぞれの地域ごとに商店街が形成されております。しかしながら、賑わっているのは、北の北品川本通り商店街と北品川商店街であり、それより南の品川宿場通り南会からは、商店街としての役割が希薄になってきており、この鮫洲商店街も、商店街としての機能は薄れつつある、いや、もう薄れてしまっているという感じがします。


 そうすると、鮫洲商店街の見所は何なのかと言いますと、やはり、品川の旧東海道の他の商店街と同じく、レトロな建物を楽しむことでしょう。また、下町ですから、お祭りの季節になりますと、お祭り衣装の人たちが歩いています。
 ここまでの旧東海道沿いには、寺社仏閣がたくさんありましたが、鮫洲まで来ると、激減します。やはり、猟師町でありますから、神社こそあれ、お寺は、あまり造られなかったのでしょうか。


 お寺は無くとも、レトロ物件は看板建築をはじめ、たくさん残っています。ここまで来ると新陳代謝が遅いのか、レトロ物件は、かなり多いように感じます。



 この木造、トタン、瓦屋根の物件も素晴らしいレトロ感です。何の商店だったのでしょう。昭和の商店建築という感じで、とてもノスタルジーを感じます。


 日曜日はお休みのようですが、食品サンプルの置かれたショーケースが、とても昭和な感じの中華屋さん。食べログで、酷評している人がいましたが、そんなの関係あるかい!雰囲気を楽しみましょう!


 路地に入ると、トタン物件など、寂れ感が堪りません。路地といいますか、京急・鮫洲駅の近くなのですが、この有様です。
 そんな路地に、小唄教室なるものがありました。小唄とは、芸者さんが御座敷で三味線と共に唄う唄ですが、こんな場末にあるとは!品川の花街が鮫洲にまであったのか分かりませんが、いずれにしても、戦後まで、花街で栄た北品川の文化圏にある故に、このような小唄教室があるのでしょう。




 それにしても、看板建築が、あちらこちらにあります。旧東海道で、看板建築を見たいなら、鮫洲が良いかもしれません。



 中国料理と中華料理の違いは、中華料理は、日本人テイストにした中国の料理で、中国料理とは、本場の中国の料理です。この、中國料理・大ふねさん。店名からして、中国らしさを感じませんし、”名代”なんて、全く中国らしさを感じません。きちんと分類すると、中華料理なのでしょう。どうでもいいですね・・・ただ、この看板のデザインが昭和っぽいオシャレ感に感銘を受けて写真を撮りました。


 飲食店が集中しているわけでも無く、ポツンポツンと飲食店があります。
 そばの鈴乃屋さん。こちらは、1950年代創業の老舗です。以前、アド街ック天国でも紹介されたようです。が、食べログの評価は、大分割れていました。


 アーチ状の屋根を有した看板建築物。今は、民家でしょうか。



 看板建築が続きます。



 看板建築に、瓦屋根の商店建築。レトロ建築好きには堪らない風光明媚な街並みです。上の商店建築には、松本レジン株式会社という看板が掲げられています。調べてみると、プラスチックやゴムの製造卸をしている会社のようです。
 この旧東海道のもう少し北にある目黒川流域は、明治以降、大小の工場で栄た工場地帯でした。このような会社があるというのは、この地域が工場地帯であった名残なの



 シャッターが下りている建物が多いですが、それは、日曜日であったからなのか、それとも、もう営業していないのか分かりません。
 まだまだ、鮫洲商店街ですが、商店街の雰囲気は一切ありません。




 南行すればするほど、寂れっぷりは増していきます。







 鮫洲は、なぜ鮫洲なのかというと、鎌倉時代に、品川沖で、大鮫の死骸から聖観音の木像が出てきたことから、鮫洲と呼ばれるようになったそうです。その観音像は、海晏寺の本尊そして奉られているそうです。海から仏像など、よくある言い伝えですが、どこからどこまで本当なのでしょうか?

洲商店街の地図、アクセス



東海道その他の記事

旧東海道①北品川本通り商店会
旧東海道品川宿の歩行新宿にあたる商店街。過去は、遊廓などあり、江戸、東京の中でもかなりの繁華街でありましたが、今では、下町の昭和レトロ商店街的な趣。
旧東海道②北品川商店街
旧東海道品川宿の北品川新宿にあたる商店街。旧東海道、歴史的商店建築が残っていたり、全国を往来した幕末の志士も集った場所であり、もっと注目されていいのではと思いますが、地元密着な商店街なのであります。
旧東海道③品川宿場通り南会
旧東海道の品川南本宿。高度経済成長までは、下町の町工場が周囲に多数あり、その労働者に向けた商店街として栄えたようですが、今は、そのような労働者もいなくなり、さびれた商店街。
旧東海道④青物横丁商店街
旧東海道沿いの商店街。昭和初期まで、八百屋が多く軒を連ねていたので青物横丁なのですが、今は面影はないです。細い旧東海道に過去の街道を感じ、また、旧街道ならではの老舗の古い建築を堪能しながら散策できます。
旧東海道⑤鮫洲商店街
旧東海道ですが、江戸時代では、品川宿を外れた郊外。そして今もさびれた商店街。ここをもう商店街と言っていいのか分かりませんが、商店建築が多数並ぶ様は、昭和の時代はすごく賑わったのだろうなと郷愁を感じます。
旧東海道⑥名もなき旧東海道
旧東海道は、北品川からずっと商店街でありますが、鮫洲商店街を越えると、ついには商店街でなくなります。しかし、幕末の志士が利用した江戸創業のそば屋さんがあるなど、刻まれた歴史は大きいです。涙橋を渡り、鈴ヶ森刑場跡まで歩きます。
銅板建築 北馬場参道通り商店街
旧東海道と品川神社をつなぐ参道。こちらも、昭和レトロな商店が多数並ぶ商店街。


立会川龍馬通り繁栄会
旧東海道から立会川駅に向かう商店街。坂本龍馬が若かりし頃、この辺りの土佐藩邸に住んでいたことから、龍馬推しの地域であります。

立会川駅前商店会
旧東海道沿いの立会川駅前の細い路地商店街。酒場が多いです。駅前の商店街ですが、下町の路地裏横丁的雰囲気の商店街。


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